可愛がってくれた人に「お前とは、絶交だ!」と激怒されて…
坂田さんは、富山中部高校で1957年度からの2年間、選手権に出場している。当時の西宮球技場の写真には、背景に小さな丘のようなバックスタンドが映っているが、そこに人の姿はない。
白黒でも、グラウンドがボコボコに荒れているのが分かる。親が試合観戦に訪れたことはないという。そんな文化は存在しなかった時代だ。整備された天然芝のスタジアムで歓声を浴びてプレーしている昨今の様子とは、ずいぶんと異なる。
なにしろ、関西で高校スポーツと言えば、甲子園を聖地とする野球の人気が強かった。坂田さんたち民放テレビの担当者は、調査会社のデータを基に、大会主催者である日本サッカー協会に首都圏開催への変更を提案。そして1976年に開催地変更が決定された。
坂田さんは、大阪の川本さんに報告をしに行ったが、大事にしてきた大会を奪われたという思いから「お前とは、絶交だ!」と激怒され、以降は現場で会っても無視された。自身を可愛がってくれた人の怒りを買うのは分かっていたが、大会を成功させるには、仕方がなかった。坂田さんは「川本さんが怒るのは、当然です。それまで年末年始、関西の皆さんが手弁当で頑張って運営してきた大会ですから。だからこそ、首都圏に移したら、絶対に大会を成功させなければいけないと思っていました」と、並々ならぬ決意で大会の盛り上げを目ざした。
今とは違い、高校サッカーを現地観戦する人などいない時代だ。坂田さんたち日本テレビ担当者は、出場チームの所属する都道府県の県人会へ応援を呼びかけた。各学校にも応援を依頼。職員会議や父母会、生徒会にまで顔を出して頼み込んだ。国立競技場近辺の家にはチラシを配達してアピール。近隣の駅でもチラシを配り、とにかく観衆を集めるのに必死になった。
白黒でも、グラウンドがボコボコに荒れているのが分かる。親が試合観戦に訪れたことはないという。そんな文化は存在しなかった時代だ。整備された天然芝のスタジアムで歓声を浴びてプレーしている昨今の様子とは、ずいぶんと異なる。
なにしろ、関西で高校スポーツと言えば、甲子園を聖地とする野球の人気が強かった。坂田さんたち民放テレビの担当者は、調査会社のデータを基に、大会主催者である日本サッカー協会に首都圏開催への変更を提案。そして1976年に開催地変更が決定された。
坂田さんは、大阪の川本さんに報告をしに行ったが、大事にしてきた大会を奪われたという思いから「お前とは、絶交だ!」と激怒され、以降は現場で会っても無視された。自身を可愛がってくれた人の怒りを買うのは分かっていたが、大会を成功させるには、仕方がなかった。坂田さんは「川本さんが怒るのは、当然です。それまで年末年始、関西の皆さんが手弁当で頑張って運営してきた大会ですから。だからこそ、首都圏に移したら、絶対に大会を成功させなければいけないと思っていました」と、並々ならぬ決意で大会の盛り上げを目ざした。
今とは違い、高校サッカーを現地観戦する人などいない時代だ。坂田さんたち日本テレビ担当者は、出場チームの所属する都道府県の県人会へ応援を呼びかけた。各学校にも応援を依頼。職員会議や父母会、生徒会にまで顔を出して頼み込んだ。国立競技場近辺の家にはチラシを配達してアピール。近隣の駅でもチラシを配り、とにかく観衆を集めるのに必死になった。
選手の正面撮りばかりだったポスターも一新した。「格好良くて、盗まれてしまうようなものを作ってくれ」とデザイナーに依頼。帝京高校(東京都)のGKに手伝ってもらい、横っ跳びの瞬間を後方から撮影した躍動感のある写真を使用し、瞬く間に盗まれるポスターを作って話題を呼んだ。もちろん、ガラガラのスタンドを映すのではなく、観衆が盛り上がっている姿を映したいというテレビマンとしての思いもあったが、坂田さんには、大阪で大会を運営していた人たちが納得する大会にしなければいけないという思いもあった。
人が集まれば、会場対応も必要だ。当時は、西が丘サッカー場など多くの会場に競技用の時計がなく、テレビ局の大道具に依頼して大型の「人動時計」を作成。大学のサッカー部員をアルバイトで雇い、ストップウォッチで試合時間を計り、1分ごとに手動で針を動かして観客から見えるようにした。
高校サッカー選手権を、あらゆる人が注目するイベントにしたい。やがてその思いが、結実する。
首都圏開催の1回目となった第55回大会の決勝戦は、超満員に膨れ上がった。まだ日本代表も、当時の国内最高峰である日本サッカーリーグでもなし得なかった「満員の国立」を実現したのだ。決勝は、浦和南高校(埼玉県)が5-4で静岡学園高校(静岡県)を破って大会連覇を達成したが、残り時間10分で3点差の絶望的な状況から追い上げた静岡学園も強烈なインパクトを残し、見応えのある激闘は、多くの人の脳裏に刻まれた。両チームからは、MF水沼貴史(浦和南1年)、GK森下申一(静岡学園3年)がのちに日本代表選手となった。
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