転機は「日本サッカーの父」との出会い
出来上がった詞は、素晴らしかった。
三木たかしさんが作曲を手掛け、日本テレビエンタープライズが運営する芸能学校、日本テレビ音楽学院の生徒から選抜されたメンバーが「ザ・バーズ」というグループとなり、歌と踊りを披露。彼らのメディア露出も大会認知の一翼を担った。そして大会の中継では、激闘を繰り広げた両チームの姿を伝える映像に、敗者の健闘を称える名曲が添えられた。
誰かの思いが、誰かを動かす。この名曲のひとつのきっかけとなった坂田さんは、日本サッカーの発展に力を注いだ熱血漢に心を動かされて、メディア業界に飛び込んだ人物だ。
富山中部高校で全国高校選手権に2度出場した坂田さんは、東京教育大学(現・筑波大)に進学してサッカーを続けた。同期には、サンフレッチェ広島の総監督やGMを務めた今西和男さんがいる。卒業後は教員になろうと考えていたが、大学2回生のときに転機が訪れた。のちに「日本サッカーの父」と評されるデットマール・クラマー日本代表コーチの講演で、サッカー文化の浸透に報道が果たす役割を知らされたのだ。
「講演の終わり頃だったと思います。教育は、スポーツを啓蒙する上では大切な職業です。みなさんが教員になったら、私の話の中で良かったと思うことは、子どもたちに積極的に伝えてください。そういう広がりを考えると、教育はとても大切です。同じ意味合いで報道機関も大切。私は、日本に来てから毎月1回、サッカー担当の記者とお茶会をして話をしています。メディアの人を啓蒙するのも私の役目。彼らは、あなたたちと同じように、一般の人を啓蒙するのです──。クラマーさんがそう言ったとき、メディアの仕事も面白そうだと思いました」
日本テレビの最終面接に進んだ坂田さんは、同じ学生寮から日本テレビに入社していた先輩に相談した。「いろいろ訊かれるとボロが出る。これなら話せるという話が来たら、そこだけたくさん話せ。そうすれば、時間が来て終わる」とアドバイスを受けると、入社後にやりたいことを訊かれたタイミングで、作戦を実行した。
「今、日本テレビは、巨人軍の放送をしていますが、国際的に見てみれば、野球をプレーしている国は少ないです。サッカーは、全世界で行なわれています。だから、読売巨人軍を大切にしながら、サッカーもできるクラブにしましょう。そして、そのクラブの施設を地域に開放し、愛されるクラブにします。テレビで競技を見せて楽しませるだけでなく、もっと一般の人に何かを与えられる会社にしていきたいです」
クラマーさんの講演などを通じて知った、欧州のスポーツクラブ文化が頭にあった。西ドイツ(当時)のオリンピック委員会が、国民の健康促進を目的に子どもから老人までが楽しめるスポーツ施設を作る「ゴールデンプラン」を打ち立てたこと(1959年)。そのために、グラウンドや体育館、宿泊施設などを備えた独立採算制のスポーツ総合施設「スポーツシューレ」を作ったことを知っていた。
三木たかしさんが作曲を手掛け、日本テレビエンタープライズが運営する芸能学校、日本テレビ音楽学院の生徒から選抜されたメンバーが「ザ・バーズ」というグループとなり、歌と踊りを披露。彼らのメディア露出も大会認知の一翼を担った。そして大会の中継では、激闘を繰り広げた両チームの姿を伝える映像に、敗者の健闘を称える名曲が添えられた。
誰かの思いが、誰かを動かす。この名曲のひとつのきっかけとなった坂田さんは、日本サッカーの発展に力を注いだ熱血漢に心を動かされて、メディア業界に飛び込んだ人物だ。
富山中部高校で全国高校選手権に2度出場した坂田さんは、東京教育大学(現・筑波大)に進学してサッカーを続けた。同期には、サンフレッチェ広島の総監督やGMを務めた今西和男さんがいる。卒業後は教員になろうと考えていたが、大学2回生のときに転機が訪れた。のちに「日本サッカーの父」と評されるデットマール・クラマー日本代表コーチの講演で、サッカー文化の浸透に報道が果たす役割を知らされたのだ。
「講演の終わり頃だったと思います。教育は、スポーツを啓蒙する上では大切な職業です。みなさんが教員になったら、私の話の中で良かったと思うことは、子どもたちに積極的に伝えてください。そういう広がりを考えると、教育はとても大切です。同じ意味合いで報道機関も大切。私は、日本に来てから毎月1回、サッカー担当の記者とお茶会をして話をしています。メディアの人を啓蒙するのも私の役目。彼らは、あなたたちと同じように、一般の人を啓蒙するのです──。クラマーさんがそう言ったとき、メディアの仕事も面白そうだと思いました」
日本テレビの最終面接に進んだ坂田さんは、同じ学生寮から日本テレビに入社していた先輩に相談した。「いろいろ訊かれるとボロが出る。これなら話せるという話が来たら、そこだけたくさん話せ。そうすれば、時間が来て終わる」とアドバイスを受けると、入社後にやりたいことを訊かれたタイミングで、作戦を実行した。
「今、日本テレビは、巨人軍の放送をしていますが、国際的に見てみれば、野球をプレーしている国は少ないです。サッカーは、全世界で行なわれています。だから、読売巨人軍を大切にしながら、サッカーもできるクラブにしましょう。そして、そのクラブの施設を地域に開放し、愛されるクラブにします。テレビで競技を見せて楽しませるだけでなく、もっと一般の人に何かを与えられる会社にしていきたいです」
クラマーさんの講演などを通じて知った、欧州のスポーツクラブ文化が頭にあった。西ドイツ(当時)のオリンピック委員会が、国民の健康促進を目的に子どもから老人までが楽しめるスポーツ施設を作る「ゴールデンプラン」を打ち立てたこと(1959年)。そのために、グラウンドや体育館、宿泊施設などを備えた独立採算制のスポーツ総合施設「スポーツシューレ」を作ったことを知っていた。
熱心に話すうちに、面接時間の終了を告げられた。すると、ひとりの役員が「坂田君、面白い話だったよ」と言った。のちの日本テレビ社長、高木盛久さんだった。
「僕みたいな若造の話、面白いわけがない。でも、そんなことを言ってくれる人のところで働きたいと思いました」
第一志望だった新聞社の試験当日の朝、日本テレビ内定の電報が届いた。坂田さんは、新聞社の試験には行かなかった。
【画像】堀北・ガッキー・川口春奈・広瀬姉妹! 初代から最新17代目の茅島みずきまで「選手権・歴代応援マネージャー」を一挙公開!
「僕みたいな若造の話、面白いわけがない。でも、そんなことを言ってくれる人のところで働きたいと思いました」
第一志望だった新聞社の試験当日の朝、日本テレビ内定の電報が届いた。坂田さんは、新聞社の試験には行かなかった。
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