• トップ
  • ニュース一覧
  • 別れの舞台を“演じきった”S・ラモスとペレス会長。改めて問われるレジェンドの去り際の難しさ【現地発】

別れの舞台を“演じきった”S・ラモスとペレス会長。改めて問われるレジェンドの去り際の難しさ【現地発】

カテゴリ:メガクラブ

エル・パイス紙

2021年06月21日

クラブには功労者をクビにしたというマイナスイメージが

最後の会見で涙もこぼしたS・ラモス(右)。ペレス会長(左)の表情は硬い。(C)Getty Images

画像を見る

 これで良かったのだ。セルヒオ・ラモスが栄光に包まれたキャリアと壮大な伝説を置き土産にレアル・マドリーを退団した。前者については数々の記録が雄弁に語っている。一方、後者についてはリスボンでの劇的な同点ゴール(2013-14シーズンのチャンピオンズ・リーグ決勝アトレティコ・マドリー戦)が最たるエピソードだろう。

 S・ラモスはまるで自らの帝国を築くようにロッカールーム、そしてピッチにおいて圧倒的な重厚感を放ち続けた。そんな巨人のいないマドリーという新たな状況に慣れるまで、チームもファンも多大な労力を強いられることになるのは間違いない。

 今回の退団劇で改めて問われるのは、レジェンドの去り際の難しさだ。そこに明確なルールは存在しない。冷静に判断しようにも、理性では制御しえない感情が頭をもたげてくる。

【動画】ラ・リーガ公式が公開したS・ラモスのトリビュート動画
 クラブには功労者をクビにしたというマイナスイメージがどうしても付きまとう。選手は選手で全盛期の輝きを失った現実に目を背けて逡巡していると、往生際の悪さを指摘される羽目になる。

 フットボールは人生の縮図であり、始まりがあれば終わりがある。そして去り際には常に痛みが伴う。その点、17日に行われた退団セレモニーは、セルヒオ・ラモスとフロレンティーノ・ペレス会長という2人の大俳優が共演したと評価された。

 であれば、今回双方ともレジェンドの去り際という難易度の高い作品を見事に演じ切ったと言っていいのではないか。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。
【関連記事】
「驚いた。オファーの期限が切れたと…」なぜS・ラモスとマドリーは袂を分かつことになったのか?「ずっと残りたかった」
「国外に出て、日本や韓国に勝てない理由が分かった」中国のエースが明かした“アジア2強”との違い「ニッポンは海外組だけで…」
「忘れがたい夜だ」かつてC・ロナウドにユニ交換を断られたドイツ代表ゴゼンス、大活躍したポルトガル戦後の対応に言及
「カミングアウトします」元なでしこの横山久美がトランスジェンダーを公表。「隠さなくていいんだよと…」
「デパイと呼ばないで」バルサ新加入の27歳はなぜ苗字を嫌うのか?そこには「決して許さない」過去があった

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト なでしこJに続け!
    4月10日発売
    U-23日本代表
    パリ五輪最終予選
    展望&ガイド
    熾烈なバトルを総力特集
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト 世界各国の超逸材を紹介!
    4月18日発売
    母国をさらなる高みに導く
    「新・黄金世代」大研究
    列強国も中小国も
    世界の才能を徹底網羅!!
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 高校サッカーダイジェストVo.40
    1月12日発売
    第102回全国高校選手権
    決戦速報号
    青森山田が4度目V
    全47試合を完全レポート
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ