「キャリア最高のチームメイトとは誰か?」と訊かれると…
アルゼンチンとブラジルの間には、昔から強い強いライバル関係がある。南米の大国同士ということもある、国民性もまるで違う、そしてなによりサッカーにおいては絶対に譲れないものがある。
たとえ互いに対戦しなくとも、ブラジル人はアルゼンチンが負ければ大喜びだし、アルゼンチン人はどこであれブラジルの対戦相手を応援する。「マラドーナはペレより上だ!」と歌いながら――。しかし、そのマラドーナはブラジルをことのほか愛してくれた。
私が記者稼業を始めたのは、ちょうどマラドーナが活躍しはじめた頃と時を同じくする。彼の不可能を可能するプレーと、そして尊大とも思えるほどの大胆な言動は、たちまち私を魅了した。彼こそが次世代のスターであると確信した。気がつけば私は自国ブラジルではなく、アルゼンチンを追いかけていた。
これまでに私はマラドーナを5回インタビューした。どんな時でも彼から話を聞くのは簡単なことでもない。しかしマラドーナは、私がブラジル人だと知るといつも彼の方から手を広げてくれた。
マラドーナとブラジルは特別な関係にあった。今回はそんな私のブラジルと、マラドーナの知られざる話をしたいと思う。
たとえ互いに対戦しなくとも、ブラジル人はアルゼンチンが負ければ大喜びだし、アルゼンチン人はどこであれブラジルの対戦相手を応援する。「マラドーナはペレより上だ!」と歌いながら――。しかし、そのマラドーナはブラジルをことのほか愛してくれた。
私が記者稼業を始めたのは、ちょうどマラドーナが活躍しはじめた頃と時を同じくする。彼の不可能を可能するプレーと、そして尊大とも思えるほどの大胆な言動は、たちまち私を魅了した。彼こそが次世代のスターであると確信した。気がつけば私は自国ブラジルではなく、アルゼンチンを追いかけていた。
これまでに私はマラドーナを5回インタビューした。どんな時でも彼から話を聞くのは簡単なことでもない。しかしマラドーナは、私がブラジル人だと知るといつも彼の方から手を広げてくれた。
マラドーナとブラジルは特別な関係にあった。今回はそんな私のブラジルと、マラドーナの知られざる話をしたいと思う。
マラドーナは昔から、ブラジルのサッカースタイルが好きだった。ブラジル選手の華麗な足技に憧れた。なかでも1974年と78年のワールドカップでセレソンの背番号10をつけたリベリーノのプレーが好きで、彼の得意技であるエラシコ(発明したのは皆さんよくご存じのセルジオ越後だ!)にマラドーナは惹かれていたという。
「リベリーノは俺に愛と想像力をもってプレーすることを教えくれた」
のちのインタビューでマラドーナはそう私に話してくれた。
また彼の最高の“相棒”もブラジル人だった。日本の柏レイソルでもプレーしたことのあるカレッカことアントニオ・デ・オリベイラ・フィーリョだ。代表でのクラウディオ・カニージャやバルセロナでのベルント・シュスターなど、彼をサポートする選手は多くいたが、ナポリ時代のカレッカほど気が合う選手はいなかった。数年前のFIFAのインタビューで「自身のサッカー人生のなかで最高のチームメイトとは誰か?」と訊かれた時も、マラドーナは迷うことなく「アントニオ」と答えている。
彼らは共に最高の時を過ごした。ナポリにスクデットをもたらし、UEFAカップで優勝し、ゴールとタイトルと喜びを分けあった。ピッチで息がぴったりあっていたのは、私生活でも彼らの仲が良かったからだ。
「我々は共にプレーするために生まれてきたようなものだった」
かつてカレッカはこう私に話した。
「彼がピッチでどうやって動くのかも熟知していた。多分私たちの最大の強みは、ピッチの中だけでなく、外でも互いを知っていることだった。だから互いの頭の中が良くわかったのだ」
「リベリーノは俺に愛と想像力をもってプレーすることを教えくれた」
のちのインタビューでマラドーナはそう私に話してくれた。
また彼の最高の“相棒”もブラジル人だった。日本の柏レイソルでもプレーしたことのあるカレッカことアントニオ・デ・オリベイラ・フィーリョだ。代表でのクラウディオ・カニージャやバルセロナでのベルント・シュスターなど、彼をサポートする選手は多くいたが、ナポリ時代のカレッカほど気が合う選手はいなかった。数年前のFIFAのインタビューで「自身のサッカー人生のなかで最高のチームメイトとは誰か?」と訊かれた時も、マラドーナは迷うことなく「アントニオ」と答えている。
彼らは共に最高の時を過ごした。ナポリにスクデットをもたらし、UEFAカップで優勝し、ゴールとタイトルと喜びを分けあった。ピッチで息がぴったりあっていたのは、私生活でも彼らの仲が良かったからだ。
「我々は共にプレーするために生まれてきたようなものだった」
かつてカレッカはこう私に話した。
「彼がピッチでどうやって動くのかも熟知していた。多分私たちの最大の強みは、ピッチの中だけでなく、外でも互いを知っていることだった。だから互いの頭の中が良くわかったのだ」