古巣への帰還が快進撃の号砲に。
セルタに所属するスペイン代表のイアゴ・アスパスは、典型的な大器晩成型だ。22歳の誕生日を迎えたときは、正式にセルタのトップチームに昇格していたものの、あくまでも“期待のホープ”のひとりという位置づけだった。
1部リーグでチームの主力として活躍できるようになるには、25歳まで待たなければならなかった。その後リバプール、セビージャへの移籍を経て、27歳でセルタに復帰したときは、「ビッグクラブ向きの選手ではない」との烙印も押された。
しかし、その古巣への帰還がアスパスの快進撃の号砲になる。スペイン人トップの19ゴールを叩き出した昨シーズンに続いて、今シーズンもここまで16ゴール・5アシストと大車輪の活躍を披露(16ゴールは29節終了時点のスペイン人最多)。成熟したチームリーダーとしてセルタ攻撃陣を牽引しつづけている。
イアゴの実兄ホナタン・アスパス(セルタのトップチームで4シーズンプレーし、現在はイタリア・セリエCのプロ・ピアチェンツァに在籍)は、「私は10代の頃、年代別のスペイン代表でプレーしたが、弟は一度も呼ばれなかった」と回顧する。ホナタンはイアゴにとってつねに憧れの存在であり、イアゴが8歳でセルタのカンテラに入団したのも、「兄がプレーしていたから」だった。
セルタ・カンテラの入団テストでイアゴは、1歳年上の子どもたちにまざってプレーすることになった。というのも、イアゴは9歳以上の子どもしか受けられないというルールを知らずにテストを受けてしまったからだ。たとえ合格しても、入団まで1年待たなければならないと聞いたイアゴは、落胆しながら帰宅の途に就いた。
だが、事は意外な方向に進む。イアゴの才能に感嘆したセルタの関係者からすぐさま自宅に電話があり、“特例”としてそのまま憧れのクラブへの入団が決まったのだ。
1部リーグでチームの主力として活躍できるようになるには、25歳まで待たなければならなかった。その後リバプール、セビージャへの移籍を経て、27歳でセルタに復帰したときは、「ビッグクラブ向きの選手ではない」との烙印も押された。
しかし、その古巣への帰還がアスパスの快進撃の号砲になる。スペイン人トップの19ゴールを叩き出した昨シーズンに続いて、今シーズンもここまで16ゴール・5アシストと大車輪の活躍を披露(16ゴールは29節終了時点のスペイン人最多)。成熟したチームリーダーとしてセルタ攻撃陣を牽引しつづけている。
イアゴの実兄ホナタン・アスパス(セルタのトップチームで4シーズンプレーし、現在はイタリア・セリエCのプロ・ピアチェンツァに在籍)は、「私は10代の頃、年代別のスペイン代表でプレーしたが、弟は一度も呼ばれなかった」と回顧する。ホナタンはイアゴにとってつねに憧れの存在であり、イアゴが8歳でセルタのカンテラに入団したのも、「兄がプレーしていたから」だった。
セルタ・カンテラの入団テストでイアゴは、1歳年上の子どもたちにまざってプレーすることになった。というのも、イアゴは9歳以上の子どもしか受けられないというルールを知らずにテストを受けてしまったからだ。たとえ合格しても、入団まで1年待たなければならないと聞いたイアゴは、落胆しながら帰宅の途に就いた。
だが、事は意外な方向に進む。イアゴの才能に感嘆したセルタの関係者からすぐさま自宅に電話があり、“特例”としてそのまま憧れのクラブへの入団が決まったのだ。
入団後は順調に各カテゴリーを駆け上がり、イアゴがトップチームに招集されるようになった2008-09シーズン、当時2部に所属していたセルタには、国内外の経験豊富なアタッカーが揃っており、20歳とまだ若かったイアゴに入り込む余地はなかった。しかし、シーズン終了まで残り3節となったアラベス戦でチャンスが舞い込む。
残留争いに巻き込まれていたチーム同士のまさに生死を賭けた一戦で、セルタは主力に怪我人が続出。そこで当時のエウセビオ・サクリスタン監督(現レアル・ソシエダ監督)は、イアゴを後半途中から起用した。すると30分余りの出場時間で2ゴールをマークし、2-1の勝利に貢献したのだ。この白星でチームは2部B(実質3部)への降格を免れ、チームメイトたちに肩車をされたイアゴは、本拠地バライードスのファンから喝采を浴びた。
ただその後も、セルタは外国人選手を中心に前線の強化を継続。アスパスはなかなか控え選手の域を出ることができなかった。そんな中、エウセビオの後釜として2010年夏に監督に就任したパコ・エレーラが、イアゴのキャリアを左右する決断を下す。それまでセカンドトップとして起用されていたイアゴを、センターフォワードにコンバートしたのだ。指揮官は決断の理由をこう語っていた。
「イアゴの機動力とゴールに向かう姿勢をさらに活かすのが狙いだった。指示らしい指示はなにも出していないよ。『好きなようにプレーしなさい』と伝えただけだった」
ポジション変更を機にストライカーとして開花したイアゴは、2011‐12シーズン、2部リーグの35試合に出場して23ゴールをマーク。セルタの1部昇格に大きな貢献を果たした。パコ・エレーラはかつての愛弟子のプレーをこう評する。
「いかにもストリートサッカー育ちという選手さ。アイデアが豊富で、プレーの自由度が高く、とにかくサッカーが上手い。彼のような選手は、最近あまり見かけなくなったよね」
残留争いに巻き込まれていたチーム同士のまさに生死を賭けた一戦で、セルタは主力に怪我人が続出。そこで当時のエウセビオ・サクリスタン監督(現レアル・ソシエダ監督)は、イアゴを後半途中から起用した。すると30分余りの出場時間で2ゴールをマークし、2-1の勝利に貢献したのだ。この白星でチームは2部B(実質3部)への降格を免れ、チームメイトたちに肩車をされたイアゴは、本拠地バライードスのファンから喝采を浴びた。
ただその後も、セルタは外国人選手を中心に前線の強化を継続。アスパスはなかなか控え選手の域を出ることができなかった。そんな中、エウセビオの後釜として2010年夏に監督に就任したパコ・エレーラが、イアゴのキャリアを左右する決断を下す。それまでセカンドトップとして起用されていたイアゴを、センターフォワードにコンバートしたのだ。指揮官は決断の理由をこう語っていた。
「イアゴの機動力とゴールに向かう姿勢をさらに活かすのが狙いだった。指示らしい指示はなにも出していないよ。『好きなようにプレーしなさい』と伝えただけだった」
ポジション変更を機にストライカーとして開花したイアゴは、2011‐12シーズン、2部リーグの35試合に出場して23ゴールをマーク。セルタの1部昇格に大きな貢献を果たした。パコ・エレーラはかつての愛弟子のプレーをこう評する。
「いかにもストリートサッカー育ちという選手さ。アイデアが豊富で、プレーの自由度が高く、とにかくサッカーが上手い。彼のような選手は、最近あまり見かけなくなったよね」