内田の攻撃参加は守りに重点を置いた「ディフェンダーの仕事」
「攻撃的」
その形容詞は、日本サッカー界で“無双の力”を持つがごとくに用いられている。
攻撃的なボランチ、攻撃的なSB、攻撃的なCB、果ては攻撃的なGK……。「攻撃的」という形容詞をつけるだけで、エクストラな魅力が高まって、一気に“お買い得感”が増す。
「スピーディーな攻め上がりが抜群に良い!」
そんな言い回しで激賞されるのだ。
当然のことだが、攻撃的と形容されるのは、ディフェンシブなポジションの選手である。オフェンシブなポジションの選手には使われない。守備的選手が攻撃的であったら、「完全無欠」ということになるのだろうか。
しかしながら、実際はそんな都合の良い話はそうあるものではない。守備能力の足りない面を、攻撃的という部分で補っているケースがほとんどだろう。
言い換えれば、守ることを仕事とする選手の本質を曖昧にしてしまっている。攻撃的であることが美徳として語られることで、本来の仕事ができない選手が生まれてしまっているのだ。
これはほとんど、ホラー現象と言える。
攻撃的――。
その修飾句は、サッカーを危うくする表現と断じるべきだろう。
そもそも、何をもって攻撃的とするのか。Jリーグでは、CBがボールをこねるだけで、「フィードが上手い」と語られる。始末が悪いことに、褒め称えられたCBは、ロングパスをどうにか打ち込もうと、さらにこね回す癖をつけ、結果的にプレースピードを落としてしまう。
本当に攻撃的なCBとは、即決果断にパスを出し、その後の攻撃を促すものなのだが……。
SBの批評も、攻撃的の部分がクローズアップされ過ぎている。
例えば、内田篤人は攻撃的かもしれない。しかし、彼は闇雲に攻め上がってクロスを打ち込んだり、ドリブルで仕掛けたりしているわけではなく、機を見るのに敏で、その判断が抜きん出ている。
攻撃で押し込むことによって、守りでも優勢に進められる。つまり、「ディフェンダーの仕事」をしているのだ。
しかし、内田の「先手を取る」プレーだけに焦点を当てていては、物事を見誤ることになるだろう。
内田は「後の先を取る」センスにも長けている。守りにおいての準備が万全で、常に予測によって相手よりも良いポジションを取り、敵の癖を読み取っており、そのインテリジェンスによって相手を翻弄している。
攻撃的なSBなどという表現は、的外れなのである。
その形容詞は、日本サッカー界で“無双の力”を持つがごとくに用いられている。
攻撃的なボランチ、攻撃的なSB、攻撃的なCB、果ては攻撃的なGK……。「攻撃的」という形容詞をつけるだけで、エクストラな魅力が高まって、一気に“お買い得感”が増す。
「スピーディーな攻め上がりが抜群に良い!」
そんな言い回しで激賞されるのだ。
当然のことだが、攻撃的と形容されるのは、ディフェンシブなポジションの選手である。オフェンシブなポジションの選手には使われない。守備的選手が攻撃的であったら、「完全無欠」ということになるのだろうか。
しかしながら、実際はそんな都合の良い話はそうあるものではない。守備能力の足りない面を、攻撃的という部分で補っているケースがほとんどだろう。
言い換えれば、守ることを仕事とする選手の本質を曖昧にしてしまっている。攻撃的であることが美徳として語られることで、本来の仕事ができない選手が生まれてしまっているのだ。
これはほとんど、ホラー現象と言える。
攻撃的――。
その修飾句は、サッカーを危うくする表現と断じるべきだろう。
そもそも、何をもって攻撃的とするのか。Jリーグでは、CBがボールをこねるだけで、「フィードが上手い」と語られる。始末が悪いことに、褒め称えられたCBは、ロングパスをどうにか打ち込もうと、さらにこね回す癖をつけ、結果的にプレースピードを落としてしまう。
本当に攻撃的なCBとは、即決果断にパスを出し、その後の攻撃を促すものなのだが……。
SBの批評も、攻撃的の部分がクローズアップされ過ぎている。
例えば、内田篤人は攻撃的かもしれない。しかし、彼は闇雲に攻め上がってクロスを打ち込んだり、ドリブルで仕掛けたりしているわけではなく、機を見るのに敏で、その判断が抜きん出ている。
攻撃で押し込むことによって、守りでも優勢に進められる。つまり、「ディフェンダーの仕事」をしているのだ。
しかし、内田の「先手を取る」プレーだけに焦点を当てていては、物事を見誤ることになるだろう。
内田は「後の先を取る」センスにも長けている。守りにおいての準備が万全で、常に予測によって相手よりも良いポジションを取り、敵の癖を読み取っており、そのインテリジェンスによって相手を翻弄している。
攻撃的なSBなどという表現は、的外れなのである。