史上もっとも愛され、リスペクトを受けた
2023年10月、ボビー・チャールトンが86年の生涯を終えた。彼はいまもイングランドフットボールの殿堂の頂点にいる。過去に存在した偉大なイングランド人選手の中でも、正真正銘ナンバー1の勝者だった。肩を並べる者はいない。
ヨーロッパを代表する著述家のサイモン・クーパーが追悼の意を込めて、そのレジェンドの偉業やエピソードを紐解いていく。
―――◆―――◆―――
ボビー・チャールトンに会ったのはいまから30年前のことだ。
僕はアルゼンチンに駐在している英国大使の邸宅を訪れていた。瀟洒な玄関を抜けた先には英国調の広間があった。
玄関口のテーブルに置かれた来客者リストのページは開かれたままになっていた。
「ボビーとノルマのチャールトンご夫妻。マンチェスターより」
玄関ホールに椅子はなく、僕と友人(英国の外交官)は15分ほど腰を下ろさず、流れゆく時を過ごしていた。辺りには南半球の2月ならではの暑さが充満している。
ヨーロッパを代表する著述家のサイモン・クーパーが追悼の意を込めて、そのレジェンドの偉業やエピソードを紐解いていく。
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ボビー・チャールトンに会ったのはいまから30年前のことだ。
僕はアルゼンチンに駐在している英国大使の邸宅を訪れていた。瀟洒な玄関を抜けた先には英国調の広間があった。
玄関口のテーブルに置かれた来客者リストのページは開かれたままになっていた。
「ボビーとノルマのチャールトンご夫妻。マンチェスターより」
玄関ホールに椅子はなく、僕と友人(英国の外交官)は15分ほど腰を下ろさず、流れゆく時を過ごしていた。辺りには南半球の2月ならではの暑さが充満している。
イングランドフットボール史上もっとも愛され、リスペクトを受けたフットボーラーが姿を現わしたのはそんな時だった。
チャールトンはマンチェスターへの五輪招致活動の一環で、アルゼンチンを訪れていた。僕らが顔を合わせる前夜には、ブエノスアイレス郊外のカントリーハウス(上流階級の邸宅)で、「Manchester 2000」のTシャツを纏ったボビー・チャールトン選抜チームと、時のアルゼンチン大統領であるカルロス・メネムが主将を務めたチームが試合を行なっている。友人はチャールトンのチームに入ってプレーしていた。
「大統領のチームが勝ったよ。スコアは14-7。大敗だったな」
そんな試合があることを、前もって知っておきたかった。どちらかのチームにどうにか潜り込み、チャールトンや大統領とボールを蹴るのが面白くないわけがない。
チャールトンはマンチェスターへの五輪招致活動の一環で、アルゼンチンを訪れていた。僕らが顔を合わせる前夜には、ブエノスアイレス郊外のカントリーハウス(上流階級の邸宅)で、「Manchester 2000」のTシャツを纏ったボビー・チャールトン選抜チームと、時のアルゼンチン大統領であるカルロス・メネムが主将を務めたチームが試合を行なっている。友人はチャールトンのチームに入ってプレーしていた。
「大統領のチームが勝ったよ。スコアは14-7。大敗だったな」
そんな試合があることを、前もって知っておきたかった。どちらかのチームにどうにか潜り込み、チャールトンや大統領とボールを蹴るのが面白くないわけがない。