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この世を去ったイングランド史上最高のフットボーラー【サイモン・クーパーの追悼文|前編】

カテゴリ:ワールド

サイモン・クーパー

2024年01月31日

正真正銘ナンバー1の勝者だった

 大統領はチャールトンに夢中だった。外交官の友人が続ける。

「まったくどうかしてるよ。2週間ほど前、外務大臣のダグラス・ハードがアルゼンチンを訪問したんだ。その時にメネム大統領から与えられた面会時間はたったの40分だ。さて、そこにボビー・チャールトンがやってきた。メネムは飛び上がっていたよ。一緒にボールを追いかけて、ディナーを共にして、その翌日、そう、今朝もまた会っていたようでね」

 だからだろう。僕の前に現われたチャールトンは少々お疲れのようだった。それでも、ほつれたジャケットを羽織り、まるで子供のような駆け出しジャーナリストの僕に対しても、とても礼儀正しかった。

「フットボールの本を書きたいんです」

 そう伝えると、ベランダで話をすることになった。ジャージ姿のチャールトンはタオルを手に階段を駆け上がった。そこにいたのは普段着の逞しいフットボーラーだった。2人分の飲み物をそっと運んできてくれた給仕とは似ても似つかない。

「メネム大統領の腕前はいかがでしたか」

 そう訊ねると、チャールトンは堰を切ったように話し出した。

「賢いフットボーラーだ。プロの腕前がないのに、プロのようにプレーしようとする友人が何人もいる。でも、メネムは違ったね。プレーがとにかくシンプルで、ボールを失うことはなかったし、判断がよく球離れが早かった。彼は一国の大統領だ。フットボール以外にやることは山積みなのに、とても感心させられたね」

 僕はいまもその金言を反芻しながら、ボールを蹴るようにしている。
 
 あれから随分と経った2023年の10月、チャールトンは86歳でこの世を去った。

 彼はいまもイングランドフットボールの殿堂の頂点にいる。過去に存在した偉大なイングランド人選手の中でも、チャールトンは正真正銘ナンバー1の勝者だった。

 ボビーとその兄のジャックはフットボーラーを育むのにもっとも恵まれた環境で育った。イングランド北東部にある炭鉱の村アシントンだ。彼らはベアトリス通り114番地に住んでいた。父親は炭鉱夫で、母親のシジーはフットボールが大好きな人だった。彼女は後にこう語っている。

「フットボールで知らないことなんてないわ。私の人生そのものなんだから」

 シジーの兄弟4人はみなプロのフットボーラーとなった。従兄弟のジャッキー・ミルバーンはニューカッスル・ユナイテッドのレジェンドだ。彼女は息子たちにフットボールを教え、73歳になっても地元のジュニアチームの運営を続けていた。

【中編】に続く

文●サイモン・クーパー
翻訳●豊福 晋

※『ワールドサッカーダイジェスト』2023年12月21日号の記事を加筆・修正
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