サッカーを始めて変わった性格
苦悩と希望の狭間で、先天性多合趾症(手足の先天異常を指す)と戦うフットボーラーにスポットを当てた企画だ。身体的なハンデをものともせず、逞しく生きて、Jリーガーになるという夢を叶えた高吉正真(ギラヴァンツ北九州)の心情に迫る。今回は後編だ。
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“6本指のサッカー選手”高吉にとって幸運だったのは、先天性多合趾症を理解する仲間に恵まれたことだった。
「中学、高校の時はチームメイトにあえて伝えたんです、『指が6本ある』って。で、『こういうスパイクを履いている』とも。そうしたら理解してくれる人が多くて、両親も安心していました」
いじめや嫌がらせはなかったのか。そう訊くと、高吉は笑顔で「むしろ、ネタにされていました」と答えた。
「僕が5本指のソックスを履くと、みんなから『あれ、6本指じゃなかったっけ?』といじられて。僕にとっては、それが有り難かったです。そもそも6本指のことは言われてもいいやというマインドがあったので、正直、からかわれても問題ありませんでした」
高吉は、持ち前の明るいキャラクターが支えになったともいう。
「この明るさで乗り切れた部分はあります。5歳の時にサッカーを始めてから(性格は)変わりました。(サッカーを)やっていなかったら、こんな明るくなっていません(笑)」
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“6本指のサッカー選手”高吉にとって幸運だったのは、先天性多合趾症を理解する仲間に恵まれたことだった。
「中学、高校の時はチームメイトにあえて伝えたんです、『指が6本ある』って。で、『こういうスパイクを履いている』とも。そうしたら理解してくれる人が多くて、両親も安心していました」
いじめや嫌がらせはなかったのか。そう訊くと、高吉は笑顔で「むしろ、ネタにされていました」と答えた。
「僕が5本指のソックスを履くと、みんなから『あれ、6本指じゃなかったっけ?』といじられて。僕にとっては、それが有り難かったです。そもそも6本指のことは言われてもいいやというマインドがあったので、正直、からかわれても問題ありませんでした」
高吉は、持ち前の明るいキャラクターが支えになったともいう。
「この明るさで乗り切れた部分はあります。5歳の時にサッカーを始めてから(性格は)変わりました。(サッカーを)やっていなかったら、こんな明るくなっていません(笑)」
足の指に負担がかかるサッカーをやって大丈夫だったのか。そんな疑問を投げかけると、高吉は「両親は僕にサッカーをやってほしかったと思っています」と返答。そして、こう続けた。
「やりたいものをやらせるスタンスでしたから、指の症状は関係ありませんでした」
強い両親だなと、素直に思う。もちろん、親にはそれなりの苦労がある。「指が6本」という現実に直面し、いくつかの決断を迫られる中で、高吉が1歳の時に手術に踏み切っている。
「なぜ手術したのかを両親に聞いたら、見た目でいじめられる可能性があったからと。生後すぐにできなくて、1歳で切断しました。その頃僕がすでに歩いていたので安静を保てず、傷が残るかが心配だったそうです」
手術しても、違和感はある。高吉の場合、綺麗な5本指になったわけではなく、「それ以上の手術をすると歩けなくなる」と医師に言われている。多少なりとも6本指の痕跡があり、その影響で高吉は普通のスパイクを履けなかったのである。
高吉は言う。
「結局は受け入れるか、受け入れないか、そのどちらかです」
「やりたいものをやらせるスタンスでしたから、指の症状は関係ありませんでした」
強い両親だなと、素直に思う。もちろん、親にはそれなりの苦労がある。「指が6本」という現実に直面し、いくつかの決断を迫られる中で、高吉が1歳の時に手術に踏み切っている。
「なぜ手術したのかを両親に聞いたら、見た目でいじめられる可能性があったからと。生後すぐにできなくて、1歳で切断しました。その頃僕がすでに歩いていたので安静を保てず、傷が残るかが心配だったそうです」
手術しても、違和感はある。高吉の場合、綺麗な5本指になったわけではなく、「それ以上の手術をすると歩けなくなる」と医師に言われている。多少なりとも6本指の痕跡があり、その影響で高吉は普通のスパイクを履けなかったのである。
高吉は言う。
「結局は受け入れるか、受け入れないか、そのどちらかです」