4月の川崎戦で右膝前十字靭帯を損傷。「膝から『バキッ』って音が聞こえた」
秋の熊谷、夜になり寒さが身に染みるスタジアムに、温かい光景があった。11月11日の天皇杯ラウンド16の町田ゼルビア戦、浦和が6-1と大量リードした75分過ぎ、ベンチ裏でウォーミングアップをしていた男に声が掛かる。ペトロヴィッチ監督は杉浦コーチの通訳を介して少しの言葉を掛けると、その男とガッチリと握手をかわした。
そして、11番を付けた男は交代でピッチに入っていった。今季から浦和に加入した石原の、4月12日のリーグ川崎戦以来213日ぶりの復帰だった。
「わずかな時間でしたけど、点差をつけてくれたことでピッチに立てたと思うので。チームメートに感謝ですね」
石原は、そう言って大差をつけた仲間たちに感謝した。
4月の川崎戦で、悪夢が起こったのは60分が過ぎたころだった。スタメン出場していた石原が、右サイドでボールに右足を伸ばしたところで相手DFと交錯した。直後、背番号11はピッチにうずくまり動けなくなった。
診断は、右膝前十字靭帯損傷。大怪我だった。
「最初は手術するかで迷っていて、できればしたくないという思いがあったけど、決めてから手術の日までが早かったんですよね。確か、2日くらいしかなかったのかな。ただ、手術に対するちょっとした不安はありましたね」
クラブから発表された手術の日付が4月23日だから、決断は20日前後だろう。石原は、約1週間の逡巡の末に手術を決断した。
後日、石原は負傷した瞬間のことをこんな風に振り返っている。
「膝から、『バキッ』って音が聞こえたんですよね。これはきっと大きい(怪我だ)なと思いましたし、まあでも、とりあえず痛いと。実際に、相手と自分の身体がどんな状況だったのかはよく分かっていないです。映像も見ていないですしね。やっぱり、怖くて見れないですよ。これから先も、絶対に見ないです」
退院してからは、長いリハビリの日々だった。浦和の練習場である大原サッカー場のクラブハウスと室内練習場の間の10メートルほどの通路は、屋外になっていてピッチを見ることができる。5月の厳しい日差しのなか、膝に厳重なサポーターを巻いた石原が、ピッチに目をやりながら1分ほどの時間を掛けて歩いている姿が記憶に残る。普段なら5秒かかるかどうかの距離に、それだけの時間がかかる。そんな状態だった。
それから9月くらいまでの間、練習の取材を終えてクラブハウスから出た時に、リハビリを終えて帰宅しようとする石原と遭遇したことが何度かあった。
公式な取材エリアではないが、そこで無言というのもなにか不自然だ。それこそ、挨拶と「今日は暑いですね」というレベルの世間話だが、「手術したの、ここですよ」と言って傷跡を見せてくれたこともある。
そうした何度かの短いやり取りのなかで、必ずと言っていいほど「焦りはないですよ。まあ、ゆっくりやっていきます」と、淡々とした口調で話していたのが印象に残っている。そして、クラブハウスから愛車に向かって歩くスピードは、見るたびに普段のものに近づいていた。
そして、11番を付けた男は交代でピッチに入っていった。今季から浦和に加入した石原の、4月12日のリーグ川崎戦以来213日ぶりの復帰だった。
「わずかな時間でしたけど、点差をつけてくれたことでピッチに立てたと思うので。チームメートに感謝ですね」
石原は、そう言って大差をつけた仲間たちに感謝した。
4月の川崎戦で、悪夢が起こったのは60分が過ぎたころだった。スタメン出場していた石原が、右サイドでボールに右足を伸ばしたところで相手DFと交錯した。直後、背番号11はピッチにうずくまり動けなくなった。
診断は、右膝前十字靭帯損傷。大怪我だった。
「最初は手術するかで迷っていて、できればしたくないという思いがあったけど、決めてから手術の日までが早かったんですよね。確か、2日くらいしかなかったのかな。ただ、手術に対するちょっとした不安はありましたね」
クラブから発表された手術の日付が4月23日だから、決断は20日前後だろう。石原は、約1週間の逡巡の末に手術を決断した。
後日、石原は負傷した瞬間のことをこんな風に振り返っている。
「膝から、『バキッ』って音が聞こえたんですよね。これはきっと大きい(怪我だ)なと思いましたし、まあでも、とりあえず痛いと。実際に、相手と自分の身体がどんな状況だったのかはよく分かっていないです。映像も見ていないですしね。やっぱり、怖くて見れないですよ。これから先も、絶対に見ないです」
退院してからは、長いリハビリの日々だった。浦和の練習場である大原サッカー場のクラブハウスと室内練習場の間の10メートルほどの通路は、屋外になっていてピッチを見ることができる。5月の厳しい日差しのなか、膝に厳重なサポーターを巻いた石原が、ピッチに目をやりながら1分ほどの時間を掛けて歩いている姿が記憶に残る。普段なら5秒かかるかどうかの距離に、それだけの時間がかかる。そんな状態だった。
それから9月くらいまでの間、練習の取材を終えてクラブハウスから出た時に、リハビリを終えて帰宅しようとする石原と遭遇したことが何度かあった。
公式な取材エリアではないが、そこで無言というのもなにか不自然だ。それこそ、挨拶と「今日は暑いですね」というレベルの世間話だが、「手術したの、ここですよ」と言って傷跡を見せてくれたこともある。
そうした何度かの短いやり取りのなかで、必ずと言っていいほど「焦りはないですよ。まあ、ゆっくりやっていきます」と、淡々とした口調で話していたのが印象に残っている。そして、クラブハウスから愛車に向かって歩くスピードは、見るたびに普段のものに近づいていた。