18年W杯の準優勝メンバーからは4人がランクイン
【識者選定 クロアチア代表レジェンドの貢献度ランキングTOP10】
1位:ルカ・モドリッチ(MF):133試合・16得点[2006年~]
2位:ダボル・シュケル(FW):69試合・45得点[1990~2002年]
3位:ズボニミール・ボバン(MF):51試合・12得点[1990~1999年]
4位:マリオ・マンジュキッチ(FW):89試合・33得点[2007~2018年]
5位:ダリヨ・スルナ(DF):134試合・22得点[2002~2016年]
6位:イバン・ラキティッチ(MF):106試合・15得点[2007~2019年]
7位:アリョーシャ・アサノビッチ(MF):62試合・3得点[1990~2000年]
8位:ヴェドラン・チョルルカ(DF):103試合・4得点[2006~2018年]
9位:イビツァ・オリッチ(FW):104試合・20得点[2002~2015年]
10位:ロベルト・ヤルニ(DF):81試合・1得点[1990~2002年]
ヴトレニ(炎の男)の愛称で国民に親しまれるクロアチア代表が誕生してから、丸
30年の月日が流れた。その炎がとりわけ大きく燃え盛ったのは二度。初出場で3位に輝いた98年フランスW杯、そして準優勝した18年ロシアW杯だ。
どちらも甲乙つけがたい強力なチームだったが、個としてはモドリッチが史上最高に相応しい。「代表チームでは本領を発揮できない」と批判された時期もあったが、ロシアでは獅子奮迅の活躍で大会MVPに輝き、同年はバロンドールやFIFA最優秀選手賞も受賞。同世代の盟友が次々に代表引退する中、新世代のロールモデルとして現在も存在感を放っている。
2位はフランスW杯で得点王になったシュケル。傑出したゴール嗅覚を誇るレフティーで、通算45得点は歴代最多だ。金銭や階級に対する嗅覚も人一倍で、サッカー連盟会長を務める現在は国民に不人気だが、90年代の子供は誰もが9番のユニホームを着たものだ。
シュケルとともに90年代の顔だったのが3位のボバン。強烈な愛国心でチームを牽引した主将は、独立戦争に至る国のシンボルでもあった。大掛かりな引退試合を開催したのは後にも先にもこの国では彼だけだ。
【PHOTO】海外番記者・識者が選んだ「クロアチア代表のレジェンド完全格付けTOP10」を厳選ショットで振り返り!
1位:ルカ・モドリッチ(MF):133試合・16得点[2006年~]
2位:ダボル・シュケル(FW):69試合・45得点[1990~2002年]
3位:ズボニミール・ボバン(MF):51試合・12得点[1990~1999年]
4位:マリオ・マンジュキッチ(FW):89試合・33得点[2007~2018年]
5位:ダリヨ・スルナ(DF):134試合・22得点[2002~2016年]
6位:イバン・ラキティッチ(MF):106試合・15得点[2007~2019年]
7位:アリョーシャ・アサノビッチ(MF):62試合・3得点[1990~2000年]
8位:ヴェドラン・チョルルカ(DF):103試合・4得点[2006~2018年]
9位:イビツァ・オリッチ(FW):104試合・20得点[2002~2015年]
10位:ロベルト・ヤルニ(DF):81試合・1得点[1990~2002年]
ヴトレニ(炎の男)の愛称で国民に親しまれるクロアチア代表が誕生してから、丸
30年の月日が流れた。その炎がとりわけ大きく燃え盛ったのは二度。初出場で3位に輝いた98年フランスW杯、そして準優勝した18年ロシアW杯だ。
どちらも甲乙つけがたい強力なチームだったが、個としてはモドリッチが史上最高に相応しい。「代表チームでは本領を発揮できない」と批判された時期もあったが、ロシアでは獅子奮迅の活躍で大会MVPに輝き、同年はバロンドールやFIFA最優秀選手賞も受賞。同世代の盟友が次々に代表引退する中、新世代のロールモデルとして現在も存在感を放っている。
2位はフランスW杯で得点王になったシュケル。傑出したゴール嗅覚を誇るレフティーで、通算45得点は歴代最多だ。金銭や階級に対する嗅覚も人一倍で、サッカー連盟会長を務める現在は国民に不人気だが、90年代の子供は誰もが9番のユニホームを着たものだ。
シュケルとともに90年代の顔だったのが3位のボバン。強烈な愛国心でチームを牽引した主将は、独立戦争に至る国のシンボルでもあった。大掛かりな引退試合を開催したのは後にも先にもこの国では彼だけだ。
【PHOTO】海外番記者・識者が選んだ「クロアチア代表のレジェンド完全格付けTOP10」を厳選ショットで振り返り!
4位はマンジュキッチ。大舞台にめっぽう強く、とくにロシアW杯セミファイナルの決勝ゴールはこの先も長く語り継がれるに違いない。5位のスルナは谷間の世代を支えた右SBで、134キャップは歴代最多。鋭利なクロスやFKで何度もチームの窮地を救った。
6位はスイス生まれながらクロアチアで代表入りしたラキティッチだ。監督によって起用法が二転三転していたが、ロシアW杯ではモドリッチの名参謀として中盤を支えた。
7位のアサノビッチも参謀タイプだが、当時のブラジェビッチ監督が「ヤツこそがチームの首相だ」と語った職人肌のレフティーだ。
8位のチョルルカと9位のオリッチは怪我が少なくなかったものの、前者は統率力とパワーで最終ラインを、後者は類まれな突進力と闘争心で前線を支えた。10位のヤルニは高速クロスと推進力を武器とする左SB/WBで、代表引退から約20年が経った今も「後継者が現われない」と嘆かれるレジェンドだ。
文●長束恭行(ジャーナリスト・通訳)
※『ワールドサッカーダイジェスト』2021年1月21日号から転載
6位はスイス生まれながらクロアチアで代表入りしたラキティッチだ。監督によって起用法が二転三転していたが、ロシアW杯ではモドリッチの名参謀として中盤を支えた。
7位のアサノビッチも参謀タイプだが、当時のブラジェビッチ監督が「ヤツこそがチームの首相だ」と語った職人肌のレフティーだ。
8位のチョルルカと9位のオリッチは怪我が少なくなかったものの、前者は統率力とパワーで最終ラインを、後者は類まれな突進力と闘争心で前線を支えた。10位のヤルニは高速クロスと推進力を武器とする左SB/WBで、代表引退から約20年が経った今も「後継者が現われない」と嘆かれるレジェンドだ。
文●長束恭行(ジャーナリスト・通訳)
※『ワールドサッカーダイジェスト』2021年1月21日号から転載