2017年07月10日
【黄金世代】第3回・小笠原満男「ジーコジャパンの真相と、セリエA挑戦の深層」(♯5)
日本代表における小笠原満男のハイライトは、はたしてどの時期だろうか。 国際Aマッチの出場記録は、55試合・7得点。この数字を本人に伝えると、少し驚いたような表情を見せ、「そんなに出てたの? び... 続きを読む
2017年07月10日
【黄金世代】第3回・小笠原満男「ジーコジャパンの真相と、セリエA挑戦の深層」(♯5)
日本代表における小笠原満男のハイライトは、はたしてどの時期だろうか。 国際Aマッチの出場記録は、55試合・7得点。この数字を本人に伝えると、少し驚いたような表情を見せ、「そんなに出てたの? び... 続きを読む
2017年07月04日
【黄金世代】第3回・小笠原満男「栄光の16冠、究極のアントラーズ愛」(♯4)
1998年春、小笠原満男はJリーグ屈指の名門、鹿島アントラーズの門を叩いた。 きっとすぐには通じない、そう覚悟していた。だが、居並ぶタレントもトレーニングの質も、想像をはるかに超えるレベルだった... 続きを読む
2017年06月28日
【黄金世代】第3回・小笠原満男「18歳の決断~なぜ常勝・鹿島を選んだのか」(#3)
ワールドユース開幕を目前に控え、小笠原満男はフィリップ・トルシエ監督の信頼を得て、先発の座を確保していた。 フラット3の前にアンカーを置き、ダブルトップ下と両ウイングバックが横一線に並び、最前... 続きを読む
2017年06月22日
岩手のみならず東北でも名の知れた存在だった小笠原満男は、中3で初めて世代別の日本代表に招集される。1994年、U-16日本代表だ。 そこで、とある選手のリフティングを目の当たりにし、頭のてっぺ... 続きを読む
2017年06月16日
【黄金世代】第3回・小笠原満男「誕生、東北のファンタジスタ」(#1)
いまから18年前、金字塔は遠いナイジェリアの地で打ち立てられた。 1999年のワールドユースで世界2位に輝いたU-20日本代表。チーム結成当初から黄金世代と謳われ、のちに時代の寵児となった若武... 続きを読む
2017年06月05日
【黄金世代】第2回・遠藤保仁「152キャップの格別~すべては日の丸が教えてくれた」(♯4)
ワールドユースで銀メダルを掴んだ。その後に続くシドニーオリンピック、そして日韓共催ワールドカップに向けて視界は良好かと思いきや、事はそう上手く進まなかった。【遠藤保仁PHOTO】骨太のキャリア... 続きを読む
2017年06月05日
【黄金世代・復刻版】遠藤保仁メモリアル ~ シドニー五輪秘話「進撃の裏側で」(後編)
【週刊サッカーダイジェスト 2000年10月18日号にて掲載。以下、加筆・修正】 続く第2戦のスロバキア戦でも、日本は2-1と勝利を飾る。 中2日で試合という日程から、疲労は確実にチームをむしばん... 続きを読む
2017年06月05日
【黄金世代・復刻版】遠藤保仁メモリアル ~ シドニー五輪秘話「進撃の裏側で」(前編)
【週刊サッカーダイジェスト 2000年10月18日号にて掲載。以下、加筆・修正】 メダル獲得へ邁進したシドニー五輪代表チームは、キャンベラ、ブリスベン、アデレードと戦いの場を移し、かけがえのない経... 続きを読む
2017年05月30日
西野朗監督が率いるガンバは、まさに(攻撃面においては)和製バルセロナだった。 圧倒的なスピードでパスを回して敵のディフェンス網にギャップを生み、稀代のパサーや超絶ストライカーたちがオートマチッ... 続きを読む
2017年05月24日
【黄金世代】第2回・遠藤保仁「サッカー人生を大きく変えた、1999年の躍動」(♯2)
鹿児島実では1年時から頭角を表わし、九州では「遠藤3兄弟」の末弟として、サッカー関係者の間では知らぬ者がいないほど有名だった。 それでも、年代別の日本代表とは縁遠かった。ようやくお呼びがかかっ... 続きを読む
2017年05月18日
【黄金世代】第2回・遠藤保仁「それは、桜島からはじまった」(♯1)
いまから18年前、金字塔は遠いナイジェリアの地で打ち立てられた。 1999年のワールドユースで世界2位に輝いたU-20日本代表。チーム結成当初から黄金世代と謳われ、のちに時代の寵児となった若武... 続きを読む
2017年05月18日
【黄金世代・復刻版】「遠藤家の人びと」~名手ヤットのルーツを辿る(前編)
【週刊サッカーダイジェスト 2007年5月19日号にて掲載。以下、加筆・修正】 こよなくサッカーを愛した一家の物語。 桜島の象徴である御岳(おんたけ)に見下ろされた家屋の脇に、ボロボロになったサッ... 続きを読む
2017年05月18日
【黄金世代・復刻版】「遠藤家の人びと」~名手ヤットのルーツを辿る(後編)
桜島中での3年間を経て、95年、保仁は「当然のように」(本人談)、鹿児島実高の門を叩く。すでに拓哉は地元企業に就職、彰弘は横浜マリノス(当時)で桜島初のプロフットボーラーとなっていた。 ふたり... 続きを読む
2017年05月18日
【黄金世代・復刻版】「遠藤家の人びと」~名手ヤットのルーツを辿る(中編)
古豪・鹿児島商高サッカー部の出身で、卒業と同時に桜島に戻り、桜州少年団の監督となった藤崎信也は、三兄弟の成長の過程をつぶさに見てきた熱血漢だ。そのなかでも保仁には、とても小学生とは思えない非凡... 続きを読む
2017年05月08日
【黄金世代・復刻版】1999 ワールドユース激闘録~銀色の軌跡(後編)
【週刊サッカーダイジェスト 1999年5月19日号にて掲載。以下、加筆・修正】[ラウンド・オブ16:日本 1(5PK4)1 ポルトガル] 得点者:日=遠藤(48分)、ポ=M・クラウディオ(80分) 出場メ... 続きを読む