驚愕の小学生は「ダンゴに加わらず」。
古豪・鹿児島商高サッカー部の出身で、卒業と同時に桜島に戻り、桜州少年団の監督となった藤崎信也は、三兄弟の成長の過程をつぶさに見てきた熱血漢だ。そのなかでも保仁には、とても小学生とは思えない非凡な才があったと回顧する。
【遠藤保仁PHOTO】骨太のキャリアを厳選フォトで振り返る
「僕は技術のある選手には、いつもトップ下をやらせていたんです。もちろん遠藤兄弟は3人ともそのポジションでしたが、面白いくらいにスタイルが違っていた。拓哉はスピードと意外性があって、それこそFWに近い動きをする。アキ(彰弘)は身体を当てながらもキープしてゲームを作るリンクマンですね。そしてヤット。アイツはどうやっても下がってくるんですよ(笑)。じっとゲームを観察してパスを出すタイプですね。今と似ていますが、当時ああいうプレーをする小学生はそうそういませんでしたよ」
運動会の短距離走でのこと。スタートを告げる号砲を待つ子どもはたいてい、前方を見据えて構えている。ところが保仁はひとりだけじっとピストルを凝視し、スターターの指の動きを見定めていた。
少年団に入りたての頃にも大人びた一面を見せている。
サッカーのイロハを習う前の子どもたちだけに、ゲームをやってもダンゴ状態になるのが常だ。そこから少しずつ視野を広げ、ドリブルやパス、チームプレーへと意識を変化させていく。
なんと保仁少年は、そんな時でもダンゴの外でじっとボールが出てくるポイントを探っていたのだそうだ。こぼれればすぐさま反応してマイボールにし、自分の思うがままにピッチを支配していた。イメージを蓄えるクセが付いていたのだろう。
【遠藤保仁PHOTO】骨太のキャリアを厳選フォトで振り返る
「僕は技術のある選手には、いつもトップ下をやらせていたんです。もちろん遠藤兄弟は3人ともそのポジションでしたが、面白いくらいにスタイルが違っていた。拓哉はスピードと意外性があって、それこそFWに近い動きをする。アキ(彰弘)は身体を当てながらもキープしてゲームを作るリンクマンですね。そしてヤット。アイツはどうやっても下がってくるんですよ(笑)。じっとゲームを観察してパスを出すタイプですね。今と似ていますが、当時ああいうプレーをする小学生はそうそういませんでしたよ」
運動会の短距離走でのこと。スタートを告げる号砲を待つ子どもはたいてい、前方を見据えて構えている。ところが保仁はひとりだけじっとピストルを凝視し、スターターの指の動きを見定めていた。
少年団に入りたての頃にも大人びた一面を見せている。
サッカーのイロハを習う前の子どもたちだけに、ゲームをやってもダンゴ状態になるのが常だ。そこから少しずつ視野を広げ、ドリブルやパス、チームプレーへと意識を変化させていく。
なんと保仁少年は、そんな時でもダンゴの外でじっとボールが出てくるポイントを探っていたのだそうだ。こぼれればすぐさま反応してマイボールにし、自分の思うがままにピッチを支配していた。イメージを蓄えるクセが付いていたのだろう。