【黄金世代】第5回・本山雅志「真紅の閃光~49勝2分け、3冠の金字塔」(♯2)

カテゴリ:Jリーグ

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年11月27日

タイムアップの瞬間は、ああすごいことをやったんだなって感動したけど…

いまに語り継がれる雪の決勝。本山は後半から1トップに躍り出て、決勝点をアシストした。(C)SOCCER DIGEST

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 酷暑の京都開催となったインターハイは、決勝で帝京を相手に4-3の逆転勝ちを収めた。続く全日本ユースも接戦をモノにしながら勝ち上がり、決勝で小野伸二を擁する清水商に3-2の僅差勝ち。スコアだけを見るとぎりぎりで拾った印象があるが、実際は豪快なガブリ寄りだった。

 左サイドの古賀誠史が放つパワフルショット、本山と宮原による鋭い2列目からの抜け出し、金古と千代反田の高さがモノを言うリスタート。そのいずれもが図抜けた質と精度を持ち、まさにどこからでもいつでも点が取れた。
 
「撃ち合いになったら負けない自信はありましたよ。1点を守り切るみたいなやり方はしてなかったし、攻めてナンボのチームだったんで。まあでも、帝京も清商もかなり強かったですけどね。いま思えば、よく勝てたなって試合はけっこうありますよ」
 

 ひとつ訊いてみたかった。49勝2分けという3冠の一年間で、いちばん厳しかった試合はどれか? すると本山は即答で、選手権・県予選のある試合を挙げたのだ。
 
「2回戦の福岡大大濠戦。あれが最大のピンチでしたよね。3冠を意識していたわけじゃなくて、それは県予選を勝ち抜いてから、本大会に行ってからだよなってみんなで話をしてたんです。でもなんでだろ、予選の初戦というプレッシャーからか、すごく全体の動きが硬くてまるで本来のサッカーができなかった。重圧があったのかもしれない。やばい、やられる。シュートを撃ってもまるで入らなかったですから。けっこうな時間まで0-2で、なんとか追いついて延長戦に入って、突き放して……。結果的に、あれを乗り越えられたのが大きかった」
 
 選手権本大会ではむしろ、リラックスして戦えたという。
 
「志波先生は、とりあえず1試合1試合だぞって言ってくれてて、これはやり切らないともったいないって思ってました。選手権って、そういう場所なんですよね。とくに3年の時にそう感じたかな。勝っても負けても最後だから、逆に思い切ったいいパフォーマンスができる。少なくとも僕らはそうだったし、周りが考えているほどプレッシャーは感じてませんでしたね。ただ、俺はけっこう先生に怒られてた。初戦(1回戦の富山一戦で5-0の勝利)は結果的に大量リードで勝てたんだけど、僕はPKを外してて、試合後にすんごい説教されました。そのほかの試合でも『お前その程度のプレーしかできないのにプロに行くのか』って。要所要所で先生が締めてくれてたんですよね」
 
 そして1998年1月8日、迎えたカナリア軍団との雪の決勝だ。インターハイと選手権の決勝が同一カードとなるのは初で、夏の王者は冬に勝てないというジンクスが27年間続いていた。
 
 本山は試合前、こんな風に感じていたという。
 
「チームとしては帝京のほうが夏より上積みがあった印象で、普通に雪じゃなくて戦ってたら、帝京が勝ってたかもしれない。それくらい強かった。コウジ(中田浩二。当時の帝京のキャプテン)とも話すんですけどね。うちはキジ(木島良輔。帝京の10番)が本当に苦手で、金古もチヨ(千代反田)もあのドリブルにチンチンにされてましたから。雪はヒガシに味方したのかなって」
 
 先制点を奪ったのは帝京だった。前半21分、中田からの一本のロングパスに呼応し、金杉伸二がGKと競いながら頭でねじ込んだ。本山は「志波先生がいちばん警戒していた形でやられた。でもあれで逆に開き直れた部分があった」と語る。東福岡はその3分後、古賀に代わって左サイドで先発した榎下貴三が同点弾を決めた。
 
 そして後半頭から、志波監督は勝負に出る。1トップの寺戸良平に代えて青柳雅裕を投入。その青柳をトップ下に置き、代わって本山を1トップに配するお決まりパターンだ。これによって大抵のチームディフェンスは混乱に陥る。分かっていても本山の動きに翻弄されてマークが集中し、フリーになる青柳や宮原に得点機が生まれるのだ。
 
 決勝点は本山のパスから、裏に抜け出した青柳が決めた。してやったりの逆転劇だ。
 
「凡試合ですよ、世紀の凡試合(笑)。タイムアップの瞬間は、ああすごいことをやったんだな、俺たちがやったんだなって感動はしたけど、どちらかというホッとした安堵のほうが大きかったかもしれない。僕の場合、それもつかの間の感じで、さあこれからプロだぞっていう、次に向かう緊張感が襲ってきた。なんか雪の中で、いろんな気持ちが入り乱れてましたね」
 
 黒のベンチコートを身に纏い、グリーンの優勝旗を掲げる。寒さで鼻は真っ赤だ。
 
 18歳の本山雅志はただただ、笑っていた。
 
<♯3につづく>
 
取材・文●川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
 
※次回はいよいよ、黄金世代との邂逅とナイジェリア・ワールドユースの舞台裏に迫ります。あのスーパーパフォーマンスはいかにして生まれたのか。レアエピソード満載の第3弾もぜひお見逃しなく!

【本山雅志PHOTO】稀代のドリブラーのキャリアを厳選フォトで 1995-2017
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PROFILE
もとやま・まさし/1979年6月20日生まれ、福岡市北九州市出身。3つ上の兄の影響でサッカーを始め、地元の二島小、二島中でアタッカーとしての才能を育まれる。高校は名門・東福岡へ。1年時はボランチで選手権ベスト4、3年時にはナンバー10を背負って伝説の3冠を達成した。ユース代表でも攻撃の中枢を担い、98年アジアユースで得点王を獲得。鹿島アントラーズ入団2年目の1999年、ナイジェリア・ワールドユースでは自慢のドリブルを炸裂させ、U-20日本代表の準優勝に貢献、大会ベスト11に選出された。2000年のシドニー五輪にも出場。鹿島では5度のJ1リーグ優勝を含む14個のタイトルを獲得。17年間在籍し、13年間に渡って背番号10を着けた。そして2016年、生まれ故郷を本拠地とするギラヴァンツ北九州に移籍し、現在に至る。00年6月のボリビア戦でA代表デビュー。W杯出場は果たせなかったが、04年アジアカップ、05年コンフェデ杯などで存在を誇示した。日本代表通算/28試合出場・0得点。Jリーグ通算/405試合・38得点(J1は365試合・38得点)。175センチ・65キロ。A型。データはすべて2017年11月26日現在。
 
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