跳ねるように時代を駆け抜けた、華麗なるスーパーキッド
いまから18年前、金字塔は遠いナイジェリアの地で打ち立てられた。
1999年のワールドユースで世界2位に輝いたU-20日本代表。チーム結成当初から黄金世代と謳われ、のちに時代の寵児となった若武者たちだ。ファンの誰もが、日本サッカーの近未来に明るい展望を描いた。
後にも先にもない強烈な個の集団は、いかにして形成され、互いを刺激し合い、大きなうねりとなっていったのか。そしてその現象はそれぞれのサッカー人生に、どんな光と影をもたらしたのか。
アラフォーとなった歴戦の勇者たちを、一人ひとり訪ね歩くインタビューシリーズ『黄金は色褪せない』。読者の方からの熱い要望に応え、戦列復帰するタイミングで即取材を敢行。ファンタジー溢れるパス&ドリブルで観る者に娯楽を運ぶ、本山雅志の登場だ。
黄金世代のなかでも小野伸二と双璧をなした天才肌は、栄光に彩られたキャリアをどう振り返るのか。いつも明るく、笑顔を絶やさなかった永遠のサッカー少年の物語だ。
その疾きこと、赤い彗星のごとし!
【本山雅志PHOTO】稀代のドリブラーのキャリアを厳選フォトで 1995-2017
───◆───◆───
古い取材ノートを引っ張り出してくる。1995年の年末だから、ちょうど22年前だ。
第74回全国高校サッカー選手権大会。いわゆる選手権の1回戦、東福岡と桐光学園の一戦。その年の夏にサッカーダイジェスト編集部に来たばかりで、取材のノウハウも分かっているのか分かっていないのか、初めての選手権取材にあたふたしているのが、当時のノートからも窺い知れる。
情報量の乏しい記述のなかで、とりわけ大きな字でメモっていたのがふたりの選手だった。ひとりは桐光の2年生、中村俊輔。すでに全国区の知名度があり、小社発行の『展望&ガイド』でも注目選手に挙げられていた。「少ないタッチで局面かえる」「すごい左足。ドリブルもスピードあり」と、目を疑うほどのつたない表現。そしてもうひとりが東福岡の1年生ボランチ、本山雅志。名前の周りを何重にもマルで囲んで、「1年生とは思えない落ち着き」「かなり細いけど当たり負けしない」「パスがごっつうまい」と書いてある。
試合は、2-1で東福岡が勝利した。初対面だった本山のコメントを読み返すと、16歳の青年が見せたはち切れんばかりの笑顔が蘇ってくる。
「意外と緊張しなかったです。僕はほんとグラウンドにいるだけで、ボールを預けたら、あとは先輩たちが全部やってくれますから。やっぱりいいですね、全国大会は。しんどかったけど、チョー楽しかったです!」
東福岡はその後、ベスト4まで勝ち進む。小島宏美、山下芳輝、生津将司らキラ星のごときアタッカー陣を後方から巧みに操っていたのが、やせっぽちのルーキーだった。これは名ボランチが誕生するかもしれない。そんな嬉しい発見にワクワクしながら、志波芳則監督(当時/現・総監督)に話を向ける。「ああ、あれ(ボランチ)ですか。これっきりよ。もともと前めの選手だからね」とあっさり。そうなの? 高校サッカーって奥が深いのだなと、妙に納得していた。
ちなみに筆者が東福岡に対して“赤い彗星”の呼称を使うようになったのは、この大会からだ。やがてそのニックネームは、本山雅志を象徴として仰ぎながら広まっていった。速い、鋭い、そして美しい。稀代のドリブラーが世界をも席巻するのは、もう少し先の話だ。
1999年のワールドユースで世界2位に輝いたU-20日本代表。チーム結成当初から黄金世代と謳われ、のちに時代の寵児となった若武者たちだ。ファンの誰もが、日本サッカーの近未来に明るい展望を描いた。
後にも先にもない強烈な個の集団は、いかにして形成され、互いを刺激し合い、大きなうねりとなっていったのか。そしてその現象はそれぞれのサッカー人生に、どんな光と影をもたらしたのか。
アラフォーとなった歴戦の勇者たちを、一人ひとり訪ね歩くインタビューシリーズ『黄金は色褪せない』。読者の方からの熱い要望に応え、戦列復帰するタイミングで即取材を敢行。ファンタジー溢れるパス&ドリブルで観る者に娯楽を運ぶ、本山雅志の登場だ。
黄金世代のなかでも小野伸二と双璧をなした天才肌は、栄光に彩られたキャリアをどう振り返るのか。いつも明るく、笑顔を絶やさなかった永遠のサッカー少年の物語だ。
その疾きこと、赤い彗星のごとし!
【本山雅志PHOTO】稀代のドリブラーのキャリアを厳選フォトで 1995-2017
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古い取材ノートを引っ張り出してくる。1995年の年末だから、ちょうど22年前だ。
第74回全国高校サッカー選手権大会。いわゆる選手権の1回戦、東福岡と桐光学園の一戦。その年の夏にサッカーダイジェスト編集部に来たばかりで、取材のノウハウも分かっているのか分かっていないのか、初めての選手権取材にあたふたしているのが、当時のノートからも窺い知れる。
情報量の乏しい記述のなかで、とりわけ大きな字でメモっていたのがふたりの選手だった。ひとりは桐光の2年生、中村俊輔。すでに全国区の知名度があり、小社発行の『展望&ガイド』でも注目選手に挙げられていた。「少ないタッチで局面かえる」「すごい左足。ドリブルもスピードあり」と、目を疑うほどのつたない表現。そしてもうひとりが東福岡の1年生ボランチ、本山雅志。名前の周りを何重にもマルで囲んで、「1年生とは思えない落ち着き」「かなり細いけど当たり負けしない」「パスがごっつうまい」と書いてある。
試合は、2-1で東福岡が勝利した。初対面だった本山のコメントを読み返すと、16歳の青年が見せたはち切れんばかりの笑顔が蘇ってくる。
「意外と緊張しなかったです。僕はほんとグラウンドにいるだけで、ボールを預けたら、あとは先輩たちが全部やってくれますから。やっぱりいいですね、全国大会は。しんどかったけど、チョー楽しかったです!」
東福岡はその後、ベスト4まで勝ち進む。小島宏美、山下芳輝、生津将司らキラ星のごときアタッカー陣を後方から巧みに操っていたのが、やせっぽちのルーキーだった。これは名ボランチが誕生するかもしれない。そんな嬉しい発見にワクワクしながら、志波芳則監督(当時/現・総監督)に話を向ける。「ああ、あれ(ボランチ)ですか。これっきりよ。もともと前めの選手だからね」とあっさり。そうなの? 高校サッカーって奥が深いのだなと、妙に納得していた。
ちなみに筆者が東福岡に対して“赤い彗星”の呼称を使うようになったのは、この大会からだ。やがてそのニックネームは、本山雅志を象徴として仰ぎながら広まっていった。速い、鋭い、そして美しい。稀代のドリブラーが世界をも席巻するのは、もう少し先の話だ。