ペトロヴィッチからのアドバイスが頭の中を駆け巡り、 ドイツに戻る機内では一睡もできなかった。
広島時代の恩師で、翌年から浦和レッズを率いることが内定していたミハイロ・ペトロヴィッチだった。六本木のドイツ料理店で久しぶりに再会すると、恩師は単刀直入に切り出してきた。
私はあなたと仕事がしたい――。
その申し出を、槙野はそこでも悩みながら、断った。
「ヨーロッパのマーケットから自分の名前が一度消えたら、二度と戻れないんじゃないかって。2部のチームでもヨーロッパに居続けることが大事だと、その時は思ったんです」
ドイツに戻る機内で、槙野は一睡もできなかった。この1年に起きたこと、日本代表のチームメイトからの助言、ペトロヴィッチからのアドバイスが、頭の中を駆け巡ったからだ。
自分が成長し、楽しんでサッカーをするには、どこでプレーするのが最善なのか……。改めて、恩師の言葉が甦る。
あなたがヨーロッパに行くと言った時、すごく良い表情をしていた。でも今は曇っている。ドイツの2部に行ったところで、あなたの表情に輝きが戻るとは、私には思えない――。
ドイツに着く頃には答は出ていた。
「すぐにミシャに電話して『一緒にプレーしたいです』と言いました。そうしたら、すごく喜んでくれて、僕の獲得をクラブに働きかけてくれたんです」
その後、古巣の広島から「このタイミングで獲得するつもりはない」との返答を得て、浦和への加入が決まった。
11年を振り返って槙野は思う。自分にとって掛け替えのない財産だった、と。
「結果は残せなかったけど、サッカーに対する意識は変わったし、ヨーロッパのサッカーの本質に触れられたのも大きい。あの1年があったからこそ今頑張れているし、この先も頑張れる」
さらに大きいのが、経験者としてアドバイスできるということだ。
「自分が経験したから後輩に伝えられることがある。ヨーロッパから戻ってくると、どうしても『失敗』と見られるじゃないですか。でも、成功か失敗かは自分にしか分からない。得られたものがあるなら、堂々と胸を張ってほしい」
ドイツでプレーした11 年は、思い描いたものとは程遠いシーズンになった。だが、あの1年が価値あるものとして輝いているのは、槙野がその経験を糧に、今も素晴らしいパフォーマンスを続けているからだ。
取材・文:飯尾篤史(スポーツライター)
私はあなたと仕事がしたい――。
その申し出を、槙野はそこでも悩みながら、断った。
「ヨーロッパのマーケットから自分の名前が一度消えたら、二度と戻れないんじゃないかって。2部のチームでもヨーロッパに居続けることが大事だと、その時は思ったんです」
ドイツに戻る機内で、槙野は一睡もできなかった。この1年に起きたこと、日本代表のチームメイトからの助言、ペトロヴィッチからのアドバイスが、頭の中を駆け巡ったからだ。
自分が成長し、楽しんでサッカーをするには、どこでプレーするのが最善なのか……。改めて、恩師の言葉が甦る。
あなたがヨーロッパに行くと言った時、すごく良い表情をしていた。でも今は曇っている。ドイツの2部に行ったところで、あなたの表情に輝きが戻るとは、私には思えない――。
ドイツに着く頃には答は出ていた。
「すぐにミシャに電話して『一緒にプレーしたいです』と言いました。そうしたら、すごく喜んでくれて、僕の獲得をクラブに働きかけてくれたんです」
その後、古巣の広島から「このタイミングで獲得するつもりはない」との返答を得て、浦和への加入が決まった。
11年を振り返って槙野は思う。自分にとって掛け替えのない財産だった、と。
「結果は残せなかったけど、サッカーに対する意識は変わったし、ヨーロッパのサッカーの本質に触れられたのも大きい。あの1年があったからこそ今頑張れているし、この先も頑張れる」
さらに大きいのが、経験者としてアドバイスできるということだ。
「自分が経験したから後輩に伝えられることがある。ヨーロッパから戻ってくると、どうしても『失敗』と見られるじゃないですか。でも、成功か失敗かは自分にしか分からない。得られたものがあるなら、堂々と胸を張ってほしい」
ドイツでプレーした11 年は、思い描いたものとは程遠いシーズンになった。だが、あの1年が価値あるものとして輝いているのは、槙野がその経験を糧に、今も素晴らしいパフォーマンスを続けているからだ。
取材・文:飯尾篤史(スポーツライター)