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「成功か失敗かは自分にしか分からない」。槙野智章が財産を手にした激動の2011年――欧州挑戦の真実

カテゴリ:日本代表

飯尾篤史

2016年07月22日

ケルンとの契約に漕ぎ着けるも、本当の試練はその先に待っていた。

「あの試合が分岐点だった」。ケルンでのデビュー戦となったザントパウリ戦は、アクシデントが重なり苦しいプレーを強いられた。(C)Getty Images

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「オファーをくれたクラブの強化の方々にも言われましたよ。『オファーが来なかったらどうするんですか』と。でも、僕は『絶対に見つけます』って」
 
 この時、槙野にはひとつの希望があった。ドルトムントとホッフェンハイムの練習に参加する機会を手にしていたのだ。12月半ば、このチャンスに懸けて、槙野は飛行機に飛び乗った。
 
 ドルトムントではミーティングと軽めの練習に参加するだけだったため、本命はホッフェンハイムだった。2部練習に参加し、紅白戦にも出場した。
 
 だが、全日程を消化した時、初めて不安が込み上げてきた。
 
「あまり力が出せなかったんです。だから、帰りのフライト中、ずっと考えてました。どこも決まらなかったら、どうしよう。俺、本当に職を失うのかって」
 
 焦り始めた槙野に吉報が届いたのは2日後のことだった。ケルンが獲得の希望を伝えてきたのだ。
 
「練習に参加していないクラブだったから驚いたけど、飛び跳ねるほど嬉しかったし、とにかくホッとしましたね」
 
 こうして槙野は窮地から脱した。だが、本当の試練はその先に待っていた。
 
 スタンドはドクロマークのフラッグやシャツで溢れている。荒くれ者の集団として知られるザンクトパウリのサポーターの怒声が響く中、槙野はピッチに立ち尽くしていた。
 
 11年1月29日、ケルンは残留争いのライバル、ザンクトパウリに30本近いシュートを打たれ、0―3で完敗した。
 
 むろん、失点はDFだけの責任ではない。しかし、守備の立て直しを見込んで獲得したCBを起用しての惨敗が、槙野に対する印象を悪くした。
 
 槙野にとっては、難しい試合だった。
 
 1月4日にケルンと契約し、カタールでアジアカップを戦う日本代表に合流したものの両足首を負傷。代表チームを離れて14日にケルンに向かうと、今度はインフルエンザに罹ってしまう。それが治り、ようやく復帰したばかりの段階で、DFに負傷者が出たため、急きょ先発を言い渡されたのだ。
 
「今思えば、あの試合が分岐点でした。もし勝っていたら、ケルンでの自分の評価が変わっていて、ヨーロッパでのキャリアも違ったものになったかもしれない。そんな想いは、正直あります」
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