【黄金世代】第5回・本山雅志「愛するアントラーズになぜ別れを告げたのか」(♯4)

カテゴリ:Jリーグ

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年12月07日

自分としては、やれるとこまでサッカーがしたい

辛い思い出も笑い飛ばしながら振り返った。どこまでもポジティブな男は、周囲の雰囲気をも和ませる。写真:筒井剛史

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 誰もが、本山はアントラーズに骨をうずめるものと思っていたはずだ。だが稀代のアタッカーは、新天地を求めた。現役にこだわった。
 
「アントラーズとの契約が満了になる。育ててもらって、すごいタイトルをたくさん獲らせてもらった。でもだからと言って、辞めますとはならなかったんです。自分としては、やれるとこまでサッカーがしたい。契約がなくなって所属チームがなくなれば辞めるしかないけど、自分を必要としてくれるチームがあるなら、そこでチャレンジしたいと思った」
 
 2015年春、慣れ親しんだエンジのキットに別れを告げ、本山は生まれ故郷へと帰還する。ギラヴァンツ北九州。初めてのJ2リーグでの戦いだ。
 
<♯5につづく>
 
取材・文●川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
 
※次回はいよいよ最終回。稀代のファンタジスタがフットボールへの熱き想いと、来るセカンドキャリアへのビジョンを明かします。お見逃しなく!
 
【本山雅志PHOTO】稀代のドリブラーのキャリアを厳選フォトで 1995-2017
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PROFILE
もとやま・まさし/1979年6月20日生まれ、福岡市北九州市出身。3つ上の兄の影響でサッカーを始め、地元の二島小、二島中でアタッカーとしての才能を育まれる。高校は名門・東福岡へ。1年時はボランチで選手権ベスト4、3年時にはナンバー10を背負って伝説の3冠を達成した。ユース代表でも攻撃の中枢を担い、98年アジアユースで得点王を獲得。鹿島アントラーズ入団2年目の1999年、ナイジェリア・ワールドユースでは自慢のドリブルを炸裂させ、U-20日本代表の準優勝に貢献、大会ベスト11に選出された。2000年のシドニー五輪にも出場。鹿島では5度のJ1リーグ優勝を含む14個のタイトルを獲得。17年間在籍し、13年間に渡って背番号10を着けた。そして2016年、生まれ故郷を本拠地とするギラヴァンツ北九州に移籍し、現在に至る。00年6月のボリビア戦でA代表デビュー。W杯出場は果たせなかったが、04年アジアカップ、05年コンフェデ杯などで存在を誇示した。日本代表通算/28試合出場・0得点。Jリーグ通算/405試合・38得点(J1は365試合・38得点)。175センチ・65キロ。A型。データはすべて2017年12月6日現在。
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