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「名古屋はクラブとして良い方向に変わるべき時。その手助けになりたい」佐藤寿人 移籍会見&囲み取材全文

カテゴリ:Jリーグ

サッカーダイジェストWeb編集部

2016年12月02日

決めた後でチームメイトみんなに連絡した。シオ(塩谷)には「決めるのが早過ぎるよ」と言われた。

――森保一監督に対しての想いを聞かせてください。
 
 森保さんとは仙台時代はチームメイトとしてプレーし、広島に来てからは選手とコーチという関係でした。それだけではなく、家に招待してくれて一緒にサッカーを見ることもありました。自分がストレスを抱えている姿を見て、厳しくも温かい言葉をかけてくれました。
 
 監督に就任されてからは、たくさんの素晴らしい時間を過ごすことができました。今シーズンこのような結果になったのは、自分の力がもっとあればという思いもあります。ただ、今年1年だけの結果だけではなく、森保監督が就任してからいろんな形で声をかけてくれましたし、「正しい表現じゃないかもしれないけど、自分が監督の時に寿人に引導を渡してあげたい」という言葉ももらいました。
 
 正直、それがちょっと早くなってしまいましたが、僕の力がもっとあれば主力として(森保監督のもとで)やれていた。3度の優勝だけでなく、ゴールを期待していつも送り出してくれた監督には、本当に感謝したい。今シーズンは苦しい時に途中からの出場でチームの力になれなくて本当に申し訳ないと思っています。そして、ひとりのサッカー人として、僕を快く送り出してくれることにも、感謝したいと思います。
 
――広島にいずれは戻ってきたいという気持ちは?
 
 それは、来季以降の自分次第です。ピッチでどう結果を示せるかによっても変わってくると思います。大好きな広島を離れる決断をしましたが、いずれは戻ってきて仕事をしたいという気持ちはありますし、ありえないかもしれませんが、再び選手としてオファーを頂けるような結果を出していきたい。
 
 未来のことは誰にも分りませんが、好きな街だし、好きなクラブだけれど、「功労者」だからといってここで仕事ができるなどと、甘い考えはないです。ひとりのサッカー人として、仕事を評価してもらい、帰ってきたいと思っている。来季以降も、サッカー人生をかけて戦っていきます。
 
――広島のサッカー少年・少女たちにメッセージをお願いします。
 
 スタジアムに入る時、たくさんの11番のユニホームを着て僕たち選手を迎えてくれるのをたくさん見てきました。試合が終わった後も、本当に多くの11番の子どもたちが応援してくれたし、サッカー教室でもそうです。その多くの子どもたちに悲しい思いをさせたことは、本当に申し訳ない想いでいっぱいです。
 
 ただ、僕だけではなく、もっと広島を応援してくれると思いますし、地元の素晴らしいクラブを声援してくれるようにお願いしたい。サッカーをやっている子どもたちには、将来サンフレッチェでプレーできるように努力し続けてほしい。そして、そういう子どもたちのなかから将来、11番をつけてプレーしてくれる選手が出てくれたら僕にとっても幸せです。
 
 12年間、素晴らしいクラブでプレーさせていただき、ひとつのサイクルが終える時期には来ていると思いますが、この先のサイクルがまた素晴らしいものになるように、いろんな方々に支えていただき、また自分もどういう形になるか分からないが、そこに携わっていきたい。その時に、今サッカーをやっている少年・少女がファン・サポーターになって、スタジアムでサンフレッチェのタイトルを願って応援する姿を期待したいと思います。
 
――仙台から広島へ移籍した時も悩みがあったと思いますが、当時の移籍と今回の違いは?
 
 当時は23、24歳と比較的若かった。広島が掲げるビジョンに入ってやりたい、日本代表でプレーしたいと思っていました。当時はここまで長く、広島でプレーできるとは、正直、思っていなかったので、結果を出さないと高いステージではやれないというプレッシャーもありました。
 
 当時と今回とは、比べられないですが、今回の決断は12年間という時間があり、本当に中身が濃かった。仙台でも素晴らしい時間を過ごさせていただきましたが、広島ではタイトルを獲り、街全体が大きな喜びに包まれる瞬間にいることもできました。アウェーで試合をして広島に帰ってきたときにホッとする、地元に帰ってきたような感覚もありました。僕にとって第二の故郷だと思っている広島を離れる決断は、正直――。
 
 オファーをもらっても最初は、移籍しないんだろうと思っていました。ただ、いろんなことを考えるうちに、チャレンジしなきゃいけない、プレーしなきゃいけないと感じました。いろんな悩み葛藤はありましたが、自分で決めたことですが、自分ひとりで決断できるものでもなかった。いろんな方の理解がなければ話は進まなかった。単純に比較はできませんが、間違いなく言えることは、34年の人生のなかで最も悩み、葛藤した時間でした。
 
――将来、紫のユニホームを着た選手たちと戦うことになった時、どんな思いになりますか?
 
 めちゃくちゃ意地悪な質問ですね(苦笑)。1年で名古屋をJ1に戻せたとすれば、再来年に対戦相手として戦う機会も訪れる。来季は天皇杯でも可能性がある。それがどのタイミングかは分からないが、1年で名古屋を本来の場所に戻すことだけです。
 
 もちろん、そうなったら気持ちは複雑ですが、その時には広島のサポーターも同じ思いを抱いてくれているかもしれません。来季違うユニホームをまとったとしても、この12年間で分かちあったものは、変わることはないと思うので、そこは自分の誇りとしてやっていきたいと思います。
 
――J2得点王など、具体的な目標は。また新生活についての心配は?
 
 1点でも多くの点を取って、今年チームに貢献できなかったゴールを決める仕事を来季のJ2でしっかりやっていきたい。広島の時にJ2の得点王になれたので、名古屋でもJ2得点王になりJ1の舞台に戻れるように頑張りたい。
 
 また、おそらく単身で行くことになりますが、いろんな部分で家族にも負担をかけてしまう。だから時間が許すかぎり、家族のもとに戻って家族との時間を大事にしたいですね。
 
 プロの世界に入った最初の数年は寮生活で、そこから出た後はずっと妻と暮らしていました。いつも彼女が隣にいたんですが、35歳にして初のひとり暮らしという不安はあります。掃除、洗濯、食事、そこの部分に関しても、チャレンジしたいと思っています。
 
――早く(移籍するか否かを)決断したいと言っていましたが。
 
 いつもなら12月に入ってから移籍の話は多くなるものですが、今シーズンは終わるのがとても早かった。名古屋は天皇杯も早く終わっていたし、広島も自分の動向が次の選択肢に影響する。なので両クラブに対して、迷惑の掛からない形にしなきゃいけないと考えました。
 
 若手はオーストラリアキャンプに行っていましたが、(ベテランは)オフ。会って相談する機会も、なかなかなかった。何人かには相談しましたが、決めた後でチームメイトみんなには連絡しました。シオ(塩谷)には「決めるのが早過ぎるよ」と言われましたね。みんな、なんだかんだ言っても移籍はしないだろうと思っていたようで、驚いていました。広島だけでなく、他のクラブの人たちにも、そう言われましたね。
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