長くプロで活躍できるような選手になってもらいたい
僕が指導者を目指したのは、アバウトですけど30過ぎから。深く考えていたわけではないですが、引退後には教えたい、指導したいと思っていたんです。それで実際に引退した時に、運よくというか、コーチの話をガンバ大阪から打診されて、現在の仕事に就いたという流れです。
現役時代から若手にアドバイスする機会もありました。年齢が上になるにつれてアドバイスの仕方というのは考えながら、特定の選手にということはないですが、ワンプレーごとに、グラウンドの上でコミュニケーションをとっていました。
レイソルの時はタニ(大谷秀和)と組むことが多かったのですが、何を言っていたかは覚えていませんね。30歳前後だったガンバでは、ユースから宇佐美貴史、井手口陽介、堂安律といった選手たちが上がってきた時に、いろいろと話すことを気にかけてやっていました。
現役時代から若手にアドバイスする機会もありました。年齢が上になるにつれてアドバイスの仕方というのは考えながら、特定の選手にということはないですが、ワンプレーごとに、グラウンドの上でコミュニケーションをとっていました。
レイソルの時はタニ(大谷秀和)と組むことが多かったのですが、何を言っていたかは覚えていませんね。30歳前後だったガンバでは、ユースから宇佐美貴史、井手口陽介、堂安律といった選手たちが上がってきた時に、いろいろと話すことを気にかけてやっていました。
具体的にどういう監督を目指して、こうなりたいということはなくて、それが良いのかどうか今は分かりませんが、選手の能力を伸ばせる監督、指導者になりたいですし、勝つことと魅せることは、両極端にあるのかもしれませんが、指導者になった以上はそれを目指していきたい。かなり難しいことだと思いますけどね。
そして、教え子たちに目指してほしいプロの姿としては、一つは、長くプロで活躍できるような選手になってもらいたい。
長くやるには、試合に出続けないといけない。試合に出続けるには、身体のケアが必要ですし、なにより試合で負けていたら代えられてしまう。そのため、勝ち続けなければいけません。勝つためにどうしなければいけないかと常に考え、全てにおいて負けず嫌いで、常に向上心を持っている選手になってほしいです。
もう一つは、僕がユースからプロに上がる時に言われた、「お金を払ってでも見たいと思える選手」になってほしい。魅せられる選手、ファンから見たいと思える、応援したいと思えるような選手を育てていきたいと思います。
僕はコツコツやっていくタイプなので、しっかり指導者の勉強をして、今できることを積み重ねていって、その先に監督というものが見えてくればいい。今は小さい頃にプロになりたいと思っていたように、漠然とした夢としてトップチームの監督というのを考えています。
【著者プロフィール】
明神智和(みょうじん・ともかず)/1978年1月24日、兵庫県出身。シドニー五輪や日韓W杯でも活躍したMF。黄金の中盤を形成したG大阪では2014年の国内3冠をはじめ数々のタイトル獲得に貢献。現在はガンバ大阪ユースコーチとして活躍中。また、「初の著者『徹する力』を2月26日に上梓した。
そして、教え子たちに目指してほしいプロの姿としては、一つは、長くプロで活躍できるような選手になってもらいたい。
長くやるには、試合に出続けないといけない。試合に出続けるには、身体のケアが必要ですし、なにより試合で負けていたら代えられてしまう。そのため、勝ち続けなければいけません。勝つためにどうしなければいけないかと常に考え、全てにおいて負けず嫌いで、常に向上心を持っている選手になってほしいです。
もう一つは、僕がユースからプロに上がる時に言われた、「お金を払ってでも見たいと思える選手」になってほしい。魅せられる選手、ファンから見たいと思える、応援したいと思えるような選手を育てていきたいと思います。
僕はコツコツやっていくタイプなので、しっかり指導者の勉強をして、今できることを積み重ねていって、その先に監督というものが見えてくればいい。今は小さい頃にプロになりたいと思っていたように、漠然とした夢としてトップチームの監督というのを考えています。
【著者プロフィール】
明神智和(みょうじん・ともかず)/1978年1月24日、兵庫県出身。シドニー五輪や日韓W杯でも活躍したMF。黄金の中盤を形成したG大阪では2014年の国内3冠をはじめ数々のタイトル獲得に貢献。現在はガンバ大阪ユースコーチとして活躍中。また、「初の著者『徹する力』を2月26日に上梓した。