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【喜熨斗勝史の欧州戦記|第1回】日本人がセルビア代表コーチ就任。ヨーロッパで必要となる“覚悟”とは何か

カテゴリ:連載・コラム

サッカーダイジェスト編集部

2021年04月22日

印象的だった“ミスター”の言葉

アイルランド戦でゴールを喜ぶストイコビッチ監督(写真左)と喜熨斗コーチ(ストイコビッチ監督の右隣り)。

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 2試合を終えて1勝1分けの勝点4。次なる相手は、代表ウイーク最終のアゼルバイジャン代表戦です。そのポルトガル戦後、印象的だったのはミスターの「最後のひとつは難しい。アゼルバイジャンを格下と思うな。ここで負けたら、それまでの2試合の意味がなくなる」という言葉。チームの雰囲気がすごく良いうえに、日本以上に影響力があるカリスマの勝者のメンタリティ。より気を引き締めてアウェーの地に乗り込みました。

――◆――◆――

※5月掲載予定の次回は、ヨーロッパにおいてアウェーの試合ではどんな苦労があるのか、セルビア代表コーチとして初めて敵地に乗り込んだアゼルバイジャン戦をもとに明かします。
 

ベオグラードの街並み。異国の地で大きなチャレンジに挑む。

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PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉化。プロキャリアはないが社会人チームでサッカー経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年~99年:平塚フィジカルコーチ
99年~02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年~14年:名古屋フィジカルコーチ
14年~15年8月:名古屋コーチ
15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月~: セルビア代表コンディショニングコーチ
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