自分を活かしつつもチームを大事にできるキャプテンシーの理由
「何かネガティブなことがあっても、とにかく次、次、次。切り替えればいいじゃん」
常にそう心がけているが、決して独りよがりにはならないのが注目すべき点だ。
「基本的にチームに迷惑をかけたくないのはあります。個人スポーツならまだしも、みんなでやっていくスポーツなので、バランスや我慢も必要だと。前に出ていくのも感情を出すのも苦手なので、平和に終わらせようとしますね」
アグレッシブでポジティブな一方で、一歩引いて全体を俯瞰する冷静な眼も持っている。この両面を状況によって最適に使い分けるのは簡単なことではない。新キャプテンがこのような資質を持ち合わせているのはなぜか――。
じつは、これまでのサッカー選手人生の中で1年の空白がある。
転機は2010年だった。当時JFLのジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズに在籍していたがチームを離れる決心をした。
「もともと大学を卒業する時に“25歳になったらその先のことを一度考えよう”と決めていたんです。そして実際25歳になった時、“これ以上上のレベルを目指すのは難しい”と決めつけてしまったんです」
選手の立場を離れた後はGKコーチ。しかし、サッカーと関わり続けていく間に、一度下した決断に未練があったことに気付く。
「やっぱり選手に戻りたいと。その時、大企業の社会人の強豪チームから声をかけていただいて、そこで仕事をしながらサッカーを続けることにしたんです」
もう一度プレーヤーに戻れる。葛藤の末、自分に素直になれた喜びもつかの間、2011年の東日本大震災で入団予定だったチームは活動停止に。選手へは2012年から復帰した。
「その時の監督にも協力いただいて、ほかのチームを紹介してもらいました」
選手に戻ろうとして、でもプレーできなかった2011年から、気づけば10年の月日が流れ、南葛SCのキャプテンになった。現在はハウスクリーニングの職人をしながらサッカーを続けている。その日の割り当てが終わり次第、練習に向かうことができるが、朝は5時から始動と早い。睡眠時間はギリギリだ。他の多くの社会人サッカープレーヤー同様、決して楽ではない条件下で、それでも仕事とサッカーを両立させてきた。
おそらく今、2010年に一度サッカーから離れる決断をした頃とは違う思い入れが、サッカーに対してあるはずだ。
2013年から所属した大成シティフットボールクラブ坂戸は、規律と団結、礼儀を徹底するチームだった。
「ピシッとした感じの、南葛SCとはまた違うサッカーをする中で、自分がプレーする上でもいろいろな方が関わっていることに感謝することを改めて教えられました」
こういった、これまでの1年1年の積み重ねによって、サッカーができる喜び、チームで分かち合う苦楽をより深いところで理解した。だから自分を活かしつつもチームを大事にできる、模範的ともいえるプレースタイルができあがったと思えてならない。ここまでの経緯を知れば、新キャプテンとして人間性を評価されたことにも納得だ。
ちなみに『キャプテン翼』に登場するGKで好きなのは、カンポスを彷彿とさせるメキシコのリカルド・エスパダスではなく、イタリアのジノ・ヘルナンデス。
「葵新伍がイタリアに渡った当初、頑張っている姿を陰ながらに応援するヘルナンデスの心のやさしさが好きで。僕も頑張っている選手をなんとかしてあげたいという思いがあるので、彼のようになりたいと思うんです」
普通、必殺技やプレースタイルに憧れるところ、キャラクターの心やさしさに共感する。このあたりからも彼の人柄が伝わってくる。
常にそう心がけているが、決して独りよがりにはならないのが注目すべき点だ。
「基本的にチームに迷惑をかけたくないのはあります。個人スポーツならまだしも、みんなでやっていくスポーツなので、バランスや我慢も必要だと。前に出ていくのも感情を出すのも苦手なので、平和に終わらせようとしますね」
アグレッシブでポジティブな一方で、一歩引いて全体を俯瞰する冷静な眼も持っている。この両面を状況によって最適に使い分けるのは簡単なことではない。新キャプテンがこのような資質を持ち合わせているのはなぜか――。
じつは、これまでのサッカー選手人生の中で1年の空白がある。
転機は2010年だった。当時JFLのジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズに在籍していたがチームを離れる決心をした。
「もともと大学を卒業する時に“25歳になったらその先のことを一度考えよう”と決めていたんです。そして実際25歳になった時、“これ以上上のレベルを目指すのは難しい”と決めつけてしまったんです」
選手の立場を離れた後はGKコーチ。しかし、サッカーと関わり続けていく間に、一度下した決断に未練があったことに気付く。
「やっぱり選手に戻りたいと。その時、大企業の社会人の強豪チームから声をかけていただいて、そこで仕事をしながらサッカーを続けることにしたんです」
もう一度プレーヤーに戻れる。葛藤の末、自分に素直になれた喜びもつかの間、2011年の東日本大震災で入団予定だったチームは活動停止に。選手へは2012年から復帰した。
「その時の監督にも協力いただいて、ほかのチームを紹介してもらいました」
選手に戻ろうとして、でもプレーできなかった2011年から、気づけば10年の月日が流れ、南葛SCのキャプテンになった。現在はハウスクリーニングの職人をしながらサッカーを続けている。その日の割り当てが終わり次第、練習に向かうことができるが、朝は5時から始動と早い。睡眠時間はギリギリだ。他の多くの社会人サッカープレーヤー同様、決して楽ではない条件下で、それでも仕事とサッカーを両立させてきた。
おそらく今、2010年に一度サッカーから離れる決断をした頃とは違う思い入れが、サッカーに対してあるはずだ。
2013年から所属した大成シティフットボールクラブ坂戸は、規律と団結、礼儀を徹底するチームだった。
「ピシッとした感じの、南葛SCとはまた違うサッカーをする中で、自分がプレーする上でもいろいろな方が関わっていることに感謝することを改めて教えられました」
こういった、これまでの1年1年の積み重ねによって、サッカーができる喜び、チームで分かち合う苦楽をより深いところで理解した。だから自分を活かしつつもチームを大事にできる、模範的ともいえるプレースタイルができあがったと思えてならない。ここまでの経緯を知れば、新キャプテンとして人間性を評価されたことにも納得だ。
ちなみに『キャプテン翼』に登場するGKで好きなのは、カンポスを彷彿とさせるメキシコのリカルド・エスパダスではなく、イタリアのジノ・ヘルナンデス。
「葵新伍がイタリアに渡った当初、頑張っている姿を陰ながらに応援するヘルナンデスの心のやさしさが好きで。僕も頑張っている選手をなんとかしてあげたいという思いがあるので、彼のようになりたいと思うんです」
普通、必殺技やプレースタイルに憧れるところ、キャラクターの心やさしさに共感する。このあたりからも彼の人柄が伝わってくる。