27年前に森保監督も直面していた「左SB問題」
思い起こすこと27年前、現役だった森保監督も日本代表の左SB問題に直面している。当時の絶対的左SBだった都並敏史(関東1部・浦安監督)が左足首を負傷し、同年10月の94年アメリカW杯アジア最終予選に間に合わなくなった。そこで当時のハンス・オフト監督は江尻篤彦(東京V強化部長)や三浦泰年(解説者)をトライしたが機能せず、本番はセンターバックを本職とする勝矢寿延(C大阪スクールマスター)が代役を務めたが、対戦国にここを徹底的に狙われた。そして最後の最後でイラクと引き分け、W杯切符を掴み損ねるという「ドーハの悲劇」に見舞われたのだ。
歴史的証人である森保監督は、自身の苦い経験から長友不在時の備えを万全にしたいはず。だからこそ、11月2連戦で確固たる手応えを掴んで2021年につなげることが肝要だ。仮に室屋や菅原、中山に長友以上の働きを求めるのであれば、今後は彼らを恒常的に左SBで使い続けるくらいの覚悟がほしい。
いずれにしても、酒井・吉田・冨安・長友という2019年アジアカップからの4バック固定状態から脱皮し、多様な組み合わせや構成で戦える体制を整えることは、先々の予選を考えても重要課題と言えるだろう。11月2連戦を守備陣のバリエーションを広げる好機にすべく、可能な限りのトライをしてほしいものである。
取材・文●元川悦子(フリーライター)
歴史的証人である森保監督は、自身の苦い経験から長友不在時の備えを万全にしたいはず。だからこそ、11月2連戦で確固たる手応えを掴んで2021年につなげることが肝要だ。仮に室屋や菅原、中山に長友以上の働きを求めるのであれば、今後は彼らを恒常的に左SBで使い続けるくらいの覚悟がほしい。
いずれにしても、酒井・吉田・冨安・長友という2019年アジアカップからの4バック固定状態から脱皮し、多様な組み合わせや構成で戦える体制を整えることは、先々の予選を考えても重要課題と言えるだろう。11月2連戦を守備陣のバリエーションを広げる好機にすべく、可能な限りのトライをしてほしいものである。
取材・文●元川悦子(フリーライター)