失意のなかで舞い込んだビエルサからの電話
――10連敗からの19連勝とは信じられない復活劇ですが、コーチ陣に続投を求めたクラブ幹部の姿勢も驚きですね。
B:彼らは、結果よりもプロセスが大切であると知っていたのです。我々が日々どのように選手たちと接し、どのようなメッセージを伝えながらどのように練習していたか、しっかりと見ていたんですよ。我々が去った後、2007年にコロネル・ボロニェッシは後期リーグ優勝を遂げているのですが、これは間違いなくクラブがプロセスを重視した成果だと思いますよ。
B:彼らは、結果よりもプロセスが大切であると知っていたのです。我々が日々どのように選手たちと接し、どのようなメッセージを伝えながらどのように練習していたか、しっかりと見ていたんですよ。我々が去った後、2007年にコロネル・ボロニェッシは後期リーグ優勝を遂げているのですが、これは間違いなくクラブがプロセスを重視した成果だと思いますよ。
――あなたたちは惜しまれながらコロネル・ボロニェッシを出て、ペルーの強豪スポルティング・クリスタルに行きましたね。
B:ビッグクラブでの仕事だったので、我々も大きな希望を抱いて挑んだのですが、就任から2週間後のコパ・リベルタドーレスのプレーオフで、クラブ・アメリカ(メキシコ)に大敗してグループリーグ出場権を逃すなど、何もかもうまく行きませんでした。
チームには一定のプレースタイルがあり、我々がやろうとした縦型のサッカーは好まれず、選手やサポーターとも理想的な関係を築くことができないまま、5か月後に解雇されました。期待が大きかっただけに、自分たちのアイデアを落とし込めないまま辞めさせられたショックは相当なものでした。
でも、我々は、ひとつのプロジェクトが失敗しても仲間割れするどころかいっそう結束力を固めました。フィジカルコーチのホルヘ・デシオも私も、プレー哲学や指導のメソッドを変えることなく、そのあともサンパオリと一緒に仕事をする道を選んだのです。
――十分な時間がないなかで結果を出せず、いきなり解雇というのは悔しかったでしょうね。
B:新加入の選手が15人もいるチームを2週間で組み立てなければならない状況で、どんな選手がいて、どのようなプレースタイルが効果的かを考える余裕さえありませんでした。しかし、本来、仕事を引き受ける前にしっかりと分析しておくべきことで、サポーターの好みや気質といったものも知っておく必要がありました。ただ、ビエルサが言う通り、人は失敗することによって形成されていくんだと思いました。
――そのビエルサから初めてコンタクトがあったのが、ちょうどその頃では?
B:そうですね。スポルティング・クリスタルから解雇されたあと、我々は半年間ほどフリーの状態にありました。その間に私は敬愛していた父を亡くし、精神的にとても辛い時期を過ごしていたのですが、そんなところへビエルサから連絡があったんです。
彼は律儀な人なので、まずホルヘとコンタクトを取り、アシスタントである私に連絡をする許可を得てから電話をくれました。私は呼び出された場所に出向き、そこでビエルサと一緒にU-20チリ代表とチリの国内リーグの試合をいくつか観たあと、マッチレポートを書いて提出しました。
後になってからそれが一種のテストだったことに気づきました。それから2週間後に再びビエルサから連絡があり、彼がチリ代表の監督に就任するにあたり、私をアシスタントコーチとして雇いたいと声をかけてくれたんです。
取材・文●チヅル・デ・ガルシア
※後編ではベカセッセ自身が抱く壮大な夢、そして日本の若者にも響くであろう言葉をお届けする
B:ビッグクラブでの仕事だったので、我々も大きな希望を抱いて挑んだのですが、就任から2週間後のコパ・リベルタドーレスのプレーオフで、クラブ・アメリカ(メキシコ)に大敗してグループリーグ出場権を逃すなど、何もかもうまく行きませんでした。
チームには一定のプレースタイルがあり、我々がやろうとした縦型のサッカーは好まれず、選手やサポーターとも理想的な関係を築くことができないまま、5か月後に解雇されました。期待が大きかっただけに、自分たちのアイデアを落とし込めないまま辞めさせられたショックは相当なものでした。
でも、我々は、ひとつのプロジェクトが失敗しても仲間割れするどころかいっそう結束力を固めました。フィジカルコーチのホルヘ・デシオも私も、プレー哲学や指導のメソッドを変えることなく、そのあともサンパオリと一緒に仕事をする道を選んだのです。
――十分な時間がないなかで結果を出せず、いきなり解雇というのは悔しかったでしょうね。
B:新加入の選手が15人もいるチームを2週間で組み立てなければならない状況で、どんな選手がいて、どのようなプレースタイルが効果的かを考える余裕さえありませんでした。しかし、本来、仕事を引き受ける前にしっかりと分析しておくべきことで、サポーターの好みや気質といったものも知っておく必要がありました。ただ、ビエルサが言う通り、人は失敗することによって形成されていくんだと思いました。
――そのビエルサから初めてコンタクトがあったのが、ちょうどその頃では?
B:そうですね。スポルティング・クリスタルから解雇されたあと、我々は半年間ほどフリーの状態にありました。その間に私は敬愛していた父を亡くし、精神的にとても辛い時期を過ごしていたのですが、そんなところへビエルサから連絡があったんです。
彼は律儀な人なので、まずホルヘとコンタクトを取り、アシスタントである私に連絡をする許可を得てから電話をくれました。私は呼び出された場所に出向き、そこでビエルサと一緒にU-20チリ代表とチリの国内リーグの試合をいくつか観たあと、マッチレポートを書いて提出しました。
後になってからそれが一種のテストだったことに気づきました。それから2週間後に再びビエルサから連絡があり、彼がチリ代表の監督に就任するにあたり、私をアシスタントコーチとして雇いたいと声をかけてくれたんです。
取材・文●チヅル・デ・ガルシア
※後編ではベカセッセ自身が抱く壮大な夢、そして日本の若者にも響くであろう言葉をお届けする