10連敗の後の19連勝! ペルーの小クラブで掴んだ手応え
――アルゼンチンの選手は南米の中でも非常に情熱的で競争心が高いことで知られています。ペルーの選手たちを指導する上でメンタル面における違いを感じたりはしませんでしたか?
B:あまり感じませんでした。たしかにプレーにおけるインテンシティーの違いはありましたが、練習を重ねていくうちに選手たちも我々が抱くコンセプトやアイデアを理解してくれて、こちらが思い描いていたとおりのテンポでプレーしていました。
スポルト・ボーイズでは、リーグ戦で2位と好成績を残しました。しかし、次のシーズンに向けて我々がリクエストした補強ができなかったので契約は更新せず、我々スタッフは一旦、アルゼンチンに戻りました。
B:あまり感じませんでした。たしかにプレーにおけるインテンシティーの違いはありましたが、練習を重ねていくうちに選手たちも我々が抱くコンセプトやアイデアを理解してくれて、こちらが思い描いていたとおりのテンポでプレーしていました。
スポルト・ボーイズでは、リーグ戦で2位と好成績を残しました。しかし、次のシーズンに向けて我々がリクエストした補強ができなかったので契約は更新せず、我々スタッフは一旦、アルゼンチンに戻りました。
――ユース世代を担当していたレナトとは違い、スポルト・ボーイズではあなたよりも年上の選手を指導することになったわけですが、そこに戸惑うことはありませんでしたか?
B:自分よりも年上である選手に指示を与えていたという実感は、正直なところその時は全く感じていませんでした。自分のアイデアに相当な確信を抱きながら誠実な態度で指導に当たっていたので、選手たちもそれを感じ取ってくれたのだと思います。
これは今でも機会があるごとに若い選手たちに言って聞かせることなのですが、何事も自分が感じたまま、確信をもってやれば、相手の心を掴むことができるんです。指導者というのは、自分の教えを通して、相手の心を打たなければいけません。知識と確信、相手に対する敬意をもって、筋の通った指導をすることで選手たちからも信頼され、良い関係を築くことができるのです。
――アルゼンチンに帰ってから、再びペルーのクラブに戻っていますね。
B:コロネル・ボロニェッシというクラブからオファーがあり、ホルヘと僕らスタッフ全員が揃ってペルーに戻ることになりました。我々が引き継いだ時、チームは低迷期にありました。新シーズン、文字通りゼロからのスタートを切ったのですが、立ち直ることができず、選手たちも負のエネルギーに飲み込まれ、いきなり10連敗と困難な状態になってしまいました。
そこで我々がクラブの幹部に「このまま続けることはできない」と告げると、なんと彼らは我々の仕事ぶりにとても満足していると言ってくれたんです。まさか10連敗の後で残留を希望されるとは思っていませんでした。
そして、明らかに欠けていた9番(センターフォワード)タイプを連れて来ることにクラブ側が賛同してくれて、アルゼンチンから新しい選手を獲得したのを機に19連勝しました。当時のチームには20歳前後の優秀な若手がいたのですが、翌シーズンにはリーグ戦の優勝争いに絡むレベルに達したんです。