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【連載・東京2020】遠藤渓太/前編「中学時代は『△』評価も、気がつけば“敵なし状態”に」

カテゴリ:日本代表

サッカーダイジェスト編集部

2019年06月04日

先輩から「お前が取らないとダメだぞ」と言われて

高3の頃は”敵なし”だった。それでも「プロには上がれないと思っていた」。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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――試合で使われるようになって、そこで勝つために努力していたことは?
「努力っていうのか分からないですけど、高2の時は、昌士と俺が得点源でもあったんですよ。だから、“自分が取らなければ”という想いはありましたね。周りはひとつ上の代ですごくレベルが高かったし、プリンスリーグでも対戦チームにはたくさん良い選手がいて。そういうなかで、“一発決めればいい”と思っていた。全部悪くでも、1点取ればいいって」
 
――そういうメンタルは凄いですね。
「先輩たちも期待してくれていたと思います。『お前が取らないとダメだぞ』と言ってもらったりもしましたし、“期待に応えなければ”というのは、少なからずありました」
 
――高校時代、周りと比べて、自分のここが違う、と思ったところは?
「うーん、まあ、高3になってからは、正直、向かうところ敵なしだなと思っていました。高2から点も取れるようになって、自信はついていました。でも、高3になってからも練習で手を抜いたりしなかったし、天狗になってもいなかったです。1対1になれば、ほとんどゴールを決められた。下級生が多かったけど、すごく良いチームだなと思いながらプレーできていて、そういう意味でも、本当に敵はいないと思っていました」
 
――そうは言っても、“敵なし”になるまでにそれなりに苦労があったと思います。日々のトレーニングで意識したことは?
「自分の代に、ドリブルが上手い選手がいたんですよ。タイミングとか、間合いの取り方とか、めちゃくちゃ上手い。その選手と一緒にドリブルの練習はしましたね。あとは、利き足ではない左足の練習とかですかね」
 
――ユースからプロになりますが、実はトップ昇格は微妙だったと聞いています。
「自分自身、上がる気はあまりなかったというか、上がれないものだと思っていました。だから大学もたくさん受けるつもりではいたんです」
 
――なぜ昇格できないものだと考えていたのですか?
「点は取れてはいましたけど、昇格できるほどの何かを残したわけではなかった。プロになれる手応えもなかったですし。なので、大学に行こうかなって」
 
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