“黄金のカルテット”が生み出した期待感
さらに、2年後の2002年10月。三度目の対戦は、日韓ワールドカップ後に発足したジーコジャパンの船出となる一戦だった。
この試合の見どころは、やはりジーコ監督が就任直後から掲げていた“黄金のカルテット”が揃い踏みし、いかなるパフォーマンスを見せてくれるのか、という点に尽きたと言っても過言ではなかったはずだ。
この試合のスタメンは以下の通り。
GK楢﨑正剛(名古屋)/DF秋田豊(鹿島)、松田直樹(横浜)、名良橋晃(鹿島)、服部年宏(磐田)/MF中田英寿(パルマ)、中村俊輔(レッジーナ)、小野伸二(フェイエノールト)、稲本潤一(フルアム)/FW鈴木隆行(ゲンク)、高原直泰(磐田)
ゲームは序盤から日本が攻勢に出る。中田英と中村が絶妙な距離感を保ってパスワークの起点となり、小野、稲本が中盤のリンクマンとして的確な配球を見せる。まさにカルテットが日本の攻撃をリードして徐々にゴールに迫っていった。
そして開始早々の7分に、満員の国立が歓喜に揺れる。ハーフウェイライン付近で稲本と小野がプレッシャーをかけてボールを奪うと、中田英を経由して高原が素早くドリブルで直進。右サイドでフリーの小野が高原からパスを受けると、左足インサイドでゴールへ流し込んだ。果敢なボール奪取から、鋭い速攻とともに後方から走り込んできたMFがゴールを奪う。理想的な形で生まれたゴールだった。
ところが、日本はその後、攻撃の歯車が噛み合わない。5バックに加え、中盤センターに人を多く配したジャマイカの布陣に、日本は得意のパスワークを封じられてしまう。流れが滞ると、狙い澄ましたインターセプトからカウンターを発動され、ピンチを招くようになっていく。
それでも、日本はクオリティーの高い中盤を軸に攻撃の手を緩めず、全体的にはチャレンジする姿勢を見せ続けたが、フィニッシュの精度を欠く場面が多発。早い時間帯に追加点を奪っていれば、試合を決められたはずの日本は、80分にロングボールから巨漢FWのフラーに同点弾を許し、結局1-1のドローで終了した。
その後、“黄金のカルテット”は完成形を見ないまま、ジーコ監督の構想は水泡に帰すことになり、2006年のドイツ・ワールドカップもグループリーグ敗退に終わる。初陣となったこのジャマイカ戦は、日本が誇る最高レベルのタレントたちの結集に、最も期待感が充満していた頃だったのかもしれない。
【日本 1-1 ジャマイカ】2002年ジーコジャパンの初陣
この試合の見どころは、やはりジーコ監督が就任直後から掲げていた“黄金のカルテット”が揃い踏みし、いかなるパフォーマンスを見せてくれるのか、という点に尽きたと言っても過言ではなかったはずだ。
この試合のスタメンは以下の通り。
GK楢﨑正剛(名古屋)/DF秋田豊(鹿島)、松田直樹(横浜)、名良橋晃(鹿島)、服部年宏(磐田)/MF中田英寿(パルマ)、中村俊輔(レッジーナ)、小野伸二(フェイエノールト)、稲本潤一(フルアム)/FW鈴木隆行(ゲンク)、高原直泰(磐田)
ゲームは序盤から日本が攻勢に出る。中田英と中村が絶妙な距離感を保ってパスワークの起点となり、小野、稲本が中盤のリンクマンとして的確な配球を見せる。まさにカルテットが日本の攻撃をリードして徐々にゴールに迫っていった。
そして開始早々の7分に、満員の国立が歓喜に揺れる。ハーフウェイライン付近で稲本と小野がプレッシャーをかけてボールを奪うと、中田英を経由して高原が素早くドリブルで直進。右サイドでフリーの小野が高原からパスを受けると、左足インサイドでゴールへ流し込んだ。果敢なボール奪取から、鋭い速攻とともに後方から走り込んできたMFがゴールを奪う。理想的な形で生まれたゴールだった。
ところが、日本はその後、攻撃の歯車が噛み合わない。5バックに加え、中盤センターに人を多く配したジャマイカの布陣に、日本は得意のパスワークを封じられてしまう。流れが滞ると、狙い澄ましたインターセプトからカウンターを発動され、ピンチを招くようになっていく。
それでも、日本はクオリティーの高い中盤を軸に攻撃の手を緩めず、全体的にはチャレンジする姿勢を見せ続けたが、フィニッシュの精度を欠く場面が多発。早い時間帯に追加点を奪っていれば、試合を決められたはずの日本は、80分にロングボールから巨漢FWのフラーに同点弾を許し、結局1-1のドローで終了した。
その後、“黄金のカルテット”は完成形を見ないまま、ジーコ監督の構想は水泡に帰すことになり、2006年のドイツ・ワールドカップもグループリーグ敗退に終わる。初陣となったこのジャマイカ戦は、日本が誇る最高レベルのタレントたちの結集に、最も期待感が充満していた頃だったのかもしれない。
【日本 1-1 ジャマイカ】2002年ジーコジャパンの初陣