恩師モウリーニョへの熱き想い
ドログバがそのキャリアにおいて最も脚光を浴びたのは、やはりチェルシー時代だろう。
2004年7月に2400万ポンド(当時のレートで約47億円)という高額の移籍金でリーグ・アンの強豪マルセイユからチェルシーに引き抜かれると、それから9年に渡ってブルーズ(チェルシーの愛称)と蜜月関係を築いた。
その間に獲得したチームタイトルは、プレミアリーグ4回、CL1回など合計で14個。さらに個人タイトルも2度のプレミアリーグ得点王など、計8つも手にしている。
まさしく、チェルシーで酸いも甘いも噛み分けたレジェンドにとって、「一番の思い出」は、やっぱりクラブ史上初の欧州戴冠を成し遂げた瞬間だ。
ミュンヘンのアリアンツ・アレーナで行なわれたバイエルンとの決勝戦、チェルシーは83分にトーマス・ミュラーの先制弾を浴びて絶望的な状態でタイムアップの瞬間を迎えようとしていた。
しかし88分、右からファン・マヌエル・マタが蹴ったCKをニアサイドで、ドログバが豪快にヘディングシュート! これが名手マヌエル・ノイアーの牙城を打ち崩し、チームを絶体絶命のピンチから救い出したのである。
そして、延長戦の末に迎えたPK戦でラストキッカーを務めたのもドログバだった。ノイアー、そしてその背後に大勢のバイエルン・サポーターが構える緊張の場面で、当時34歳のベテランストライカーは、冷静にゴール左下隅へ蹴り込んで、チェルシーにビッグイヤーをもたらしたのである。
「バイエルンと戦ったCL決勝は、最も重要な瞬間だったね」。しみじみと振り返るドログバは、自身の価値を高めたチェルシーの9年を、こう語った。
2004年7月に2400万ポンド(当時のレートで約47億円)という高額の移籍金でリーグ・アンの強豪マルセイユからチェルシーに引き抜かれると、それから9年に渡ってブルーズ(チェルシーの愛称)と蜜月関係を築いた。
その間に獲得したチームタイトルは、プレミアリーグ4回、CL1回など合計で14個。さらに個人タイトルも2度のプレミアリーグ得点王など、計8つも手にしている。
まさしく、チェルシーで酸いも甘いも噛み分けたレジェンドにとって、「一番の思い出」は、やっぱりクラブ史上初の欧州戴冠を成し遂げた瞬間だ。
ミュンヘンのアリアンツ・アレーナで行なわれたバイエルンとの決勝戦、チェルシーは83分にトーマス・ミュラーの先制弾を浴びて絶望的な状態でタイムアップの瞬間を迎えようとしていた。
しかし88分、右からファン・マヌエル・マタが蹴ったCKをニアサイドで、ドログバが豪快にヘディングシュート! これが名手マヌエル・ノイアーの牙城を打ち崩し、チームを絶体絶命のピンチから救い出したのである。
そして、延長戦の末に迎えたPK戦でラストキッカーを務めたのもドログバだった。ノイアー、そしてその背後に大勢のバイエルン・サポーターが構える緊張の場面で、当時34歳のベテランストライカーは、冷静にゴール左下隅へ蹴り込んで、チェルシーにビッグイヤーをもたらしたのである。
「バイエルンと戦ったCL決勝は、最も重要な瞬間だったね」。しみじみと振り返るドログバは、自身の価値を高めたチェルシーの9年を、こう語った。
「他にも、たくさんの思い出深い瞬間があった。もちろん、辛い時期もあったけど、そういう時があったからこそ強くなれたし、多くのタイトルを手にできたと思う」
このクラブでドログバは、計9人の指揮官の下でプレーした。その多くの名将たちのなかでも、ジョゼ・モウリーニョとの関係性は非常に深い。2004-05シーズンに50年ぶりのトップリーグ優勝を果たし、互いの名声を高め合った恩師への想いは特別だ。
「もちろん、今も尊敬している。ジョゼが僕をイングランド、チェルシーへ呼び寄せ、チャンスをくれた張本人だからね。CLやプレミアリーグを獲るため、それから偉大な点取り屋として大成する道を示してくれた存在だ。
初めから僕を信じてくれたのも彼だし、彼のおかげでより強くなれた。何よりも、成長しようという気持ちを抱き続けられたんだ。毎日、毎日が挑戦で、どの試合も大変ではあったけど、そのおかげで成長できたと思うよ」
――◆―――◆――
1998年のプロデビューから約20年に及ぶ長いキャリアを歩んできたドログバ。そんな男の言葉には、その実績と経験からくる確かな説得力があった。
セカンドキャリアについては、「今はアンバサダーとして、横浜ゴムとチェルシーを広める活動に専念しているけど、これが一段落したところで、時間をかけてじっくり考え、自分がやりたいことを見つけていきたい」と語っている。引退して間もないこともあるのだろうが、決断を焦る様子はない。
しかし、すでに先を見据えたような落ち着きからは、いかなる道を歩もうとも成功を予感させる独特のオーラが漂っていた。欧州トップリーグで名声を勝ち取ったストライカー、やはり只者ではなかった。
取材・文●羽澄凜太郎(サッカーダイジェストWeb編集部)