【黄金世代・復刻版】名手誕生~ボランチ稲本潤一はいかにして完成したのか(後編)

カテゴリ:特集

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年08月18日

いつまでも変わらない「イナ流のスタンス」

2001年夏、万博記念競技場の大声援を背に受け、9年半を過ごしたガンバに別れを告げた。(C)SOCCER DIGEST

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 1997年4月12日、ベルマーレ平塚戦。パトリック・エムボマや中田英寿と同じピッチに立ち、潤一のJリーグでのヒストリーが始まった。
 
 まだまだミスが多く、ゲーム終盤はあからさまに運動量が落ちてくる。あれだけ練習したロングパスは標的に到達せず、背番号29はあくまでも、17歳6か月の青年だった。しかし、すでに確固たるベースは築かれている。上野山はまったく心配していなかったという。
 
「わたしが教えたのはあくまでも基礎的な部分ばかりです。それをゲームのなかでアレンジして、足らないと思う面をレベルアップしていったのは稲本本人です。攻め上がっていくタイミングや、相手とぶつかる時の身体の使い方とか、そういうのは教えてどうこうなるもんやない。自分で挑戦していってモノにした。国際大会でも日本代表でも同じスタンスを貫いた。ひたむきにやった結果です。言ってみれば裏づけされた自信が、次第に生まれていったんですよ」
 
 名手、誕生。
 
 分岐点となるさまざまな局面で多くのひとに支えられ、その恩義を忘れない。そしてすべてにおいて、自ら答を出してきた。きっとイングランドでも、潤一のスタンスは変わらないのだろう。
 
「僕にとってガンバは単なるクラブではなく、親のような存在でした」
 
 初めてガンバの名の下でプレーしてから、9年半の歳月が流れた。2001年7月21日、鹿島アントラーズ戦。その試合前、上野山と潤一は固い握手を交わしていた。頼れる師と仰ぎ、普段は決して見せることのない弱気な部分も、すべて悟られている。お互いにどんな言葉も必要ない。
 
 ポンと叩かれた肩に心地良い痛みを感じながら、潤一はラストゲームのピッチを踏みしめた。
 
<了>
 
取材・文:川原崇(サッカーダイジェスト)
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