【黄金世代・復刻版】名手誕生~ボランチ稲本潤一はいかにして完成したのか(後編)

カテゴリ:特集

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年08月18日

プロになるための決断。転校は人生の転機だった。

17歳と6か月でのJデビューは当時最年少。エムボマや中田英寿と同じピッチに立った。(C)SOCCER DIGEST

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 夏には短期的にトップチームのトレーニングにも参加し始め、プレシーズン・マッチのニューカッスル・ユナイテッド戦ではわずかな時間ながらプロのレベルを初体験した。出場してのファーストタッチがオーバーヘッドキックで、その後すぐさまタッチラインで水を飲んだ。なんともふてぶてしい。
 
「アイツならこのままやっていける」
 
 上野山は思わず、涙をこぼしたという。
 
 だが潤一にとっての本当の転機は、秒読み段階となっていたJリーグ・デビューの直前に起こった。トップ合流を告げられた潤一は、吹田からさらに北の京都府田辺市まで通わなければならなくなったのだ。うまく電車がつながっても2時間半の距離だ。
 
 母の幸子はまだ、息子がプロになるなど考えてもいなかったし、地元の公立高校を卒業してほしいと願っていた。が、上野山は茨木にある通信制の高校への転校を薦めたのである。上野山は幸子を説得し、あとは潤一の判断を待つばかりとなった。
 
 そして彼は、決意を固める。
 
「それは、寂しかったですよ。サッカーをする環境は別で、昔から仲のいい地元の友達との時間も大事にしながら、一緒に卒業したいと思ってましたから。でも結果的に、もっと巧くなりたいという気持ちのほうが強かった。犠牲にしなきゃいけないことやし、プロを目ざす以上、ふたつをいっぺんにできるわけはないんですから」
 
 堺上高から向陽台高へ。熱いメッセージで送り出してくれた友人たちのことを、潤一は決して忘れなかった。プロになってからも奢らず、プライベートと友情を大切にし続けた。
 
 さらに、通信制で週2回の登校だけで良かった向陽台高でも多くを学んだ。同世代は言うに及ばず、上は40代後半まで、さまざまな生活背景を持つ同級生と1年を過ごした。最初は有名人としてしか見られず、居心地の悪さがあった学び舎も、徐々に人生の縮図を見るようになり、積極的にクラスのなかに溶け込んでいくようになる。
 
 潤一は急速に、大人びていった。
 
 
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