【黄金世代・復刻版】名手誕生~ボランチ稲本潤一はいかにして完成したのか(後編)

カテゴリ:特集

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年08月18日

ボランチをやらせていては自信を喪失させてしまう……。

96年のナショナルトレセンU-17ではMVPを受賞。クラブユース界の横綱として全国にその名を轟かせた。(C)SOCCER DIGEST

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[週刊サッカーダイジェスト・2001年8月8日号にて掲載。以下、加筆・修正]
 
 16歳の稲本潤一を襲った、身体の異変。クラムジィ、またはオズクットと称される。骨と筋肉の成長バランスが取れなくなり、彼は本来のパフォーマンスを維持できない時期に差しかかっていたのだ。
 
 上野山信行はこの事実に気づいていた。ボランチをやらせていては自信を喪失させるだけであると。そこで、一時的な右サイドバックへのコンバートが、エクアドルでU-17世界選手権を戦う潤一にも適応された。潤一は「納得のいくポジションやなかった」と振り返るが、上野山はあえてその症状に説明は加えなかったという。むしろ不慣れなポジションでどれだけの内容を披露できるのか、そして世界大会でなにを掴みとってくるかに、大きな期待を寄せていたのだ。
 
 効果はてきめんだった。精神的に磨かれた潤一は、帰国後、より積極的な姿勢でトレーニングに励む。高1の秋にはボランチに復帰し、迎えたナショナルトレセンU-17で、全国の精鋭たちを圧倒する総合力を見せつけたのだった。
 
 ボランチでの継続的な育成に、まだ若干の迷いがあった上野山は、当時の日本協会のユース部門の強化担当であった田嶋幸三から、「日本を代表するボランチになれる」と太鼓判を押されたという。
 
 高2になろうとしていた潤一が、肉体的にも技術的にも大きな飛躍を遂げたのはこの頃だった。仔細に渡るスキルアップ、潤一は上野山の猛特訓に死に物狂いで食らいついていった。
 
 とはいえ上野山にしてみれば、潤一だけを特別扱いするわけにはいかない。よってチーム練習とは別の時間、居残りという形で個人レッスンは続けられた。
 
 主に重点が置かれたのはボールをもらう角度と、逆サイドへ展開するロングキックの精度だった。とくに潤一のキックは長い距離は蹴れるが、まだまだ内側に曲がる傾向が強かった。上野山はまっすぐな弾道を要求し、一日に百本近くを蹴らせたこともあったという。
 
 ボールを受けてからの素早い振りと展開力。「つねに世界を目ざせ。これからのボランチは攻撃面での仕事もできんと話にならんぞ」とハッパをかけられ、潤一は単調ながらも目に見える成果を体感し、トライすることの重要性を学んでいくこととなった。
 

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