【黄金世代・復刻版】「遠藤家の人びと」~名手ヤットのルーツを辿る(前編)

カテゴリ:特集

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年05月18日

「身近に凄いファンタジスタがおったからね」。

長男・拓哉(左)、次男・彰弘(右)、そして末弟の保仁(中央)。伝説の遠藤3兄弟だ。写真提供:遠藤武義

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 陽気で社交的な拓哉と、クールで努力家の彰弘。ふたりの兄はすでにサッカーに熱中していて、家の中にも外にもボールが転がっていた。
 
 保仁も、物心がついた時にはすでにボールを蹴っていたようで、母のヤス子いわく、「おなかの中にいる時から蹴る力が一番でしたけど、保育園にいた3歳の時も、それはもう凄いキック力でした」。
 
 桜州少年団は小3まで入団することができない。そこで武義は業者に頼んで自宅の庭をつぶして整地し、3人のためにちょっとしたグラウンドを作ってあげたのだという。三兄弟と、近所の幼なじみ3人を交えた6人が、いつものメンバー。学校に行く前に集まり、帰っても暗くなるまでボールを蹴り続けていた。
 
 そんななか、歳の離れた保仁の面倒を常に見ていたのが、拓哉だった。保仁自身は以前、こんな風に話してくれたことがある。
 
「俺のプレー原点は兄貴たち。で、どちらかっていうとやっぱり長男の影響が大きい。いっつも背中を追ってたし、なにをやってもかなわない圧倒的なテクニックがあったから。もちろん世界の有名な選手のプレーもいっぱい観たけど、身近に凄いファンタジスタがおったからね(笑)。兄貴たちが全国大会に行くたびに俺も両親と一緒に応援に行ってたし、自分もいつかはって思いは、小さい頃から自然と芽生えてたのかもしれない」
 
 拓哉は桜島中、鹿児島実高と進み、高3時には名門の背番号10をつけて高校選手権の舞台を駆け抜けた。同学年には前園真聖、藤山竜仁(桜峰少年団出身)がおり、いずれも高1から主力として活躍していた。
 
 拓哉は、川添孝一以来、久々に桜島が生んだスタープレーヤーであり、後輩たちの目標ともなった、まさに開拓者だと言える。「あと数年早くJリーグが始まってたら、絶対にプロになれてたと思う。俺にとっては今でも憧れの選手だから」と、保仁は力を込めてそう話す。

<中編へ続く>

取材・文:川原崇(サッカーダイジェスト)
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