【黄金世代・復刻版】「遠藤家の人びと」~名手ヤットのルーツを辿る(前編)

カテゴリ:特集

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年05月18日

島を二分した小学生の「ダービーマッチ」。

ふたりの兄の背中を追いかけた実家のサッカーコート。まさにヤットの原点だ。写真:小倉直樹

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 若干の火山灰を含んだ黒い土を眺めながら、遠藤武義は「土の下が溶岩ですから、どんな大雨になってもすっと水が引くんですよ」と話し、笑みを浮かべる。
 
 故郷の種子島を離れ、旧桜島町役場に赴任してきたのは、もう38年も前のこと(現在は桜島支所長)。自身は高校まで野球ひと筋で過ごし、いつか子宝に恵まれたなら、バットとグローブを授けようと考えていた。ところが……。
 
「誰も野球なんてしてないんですよ。すでにサッカーが根付いている土地でしたね。周りの子どもたちはみんなサッカーボールを蹴っていて、自然と長男の拓哉ものめりこんでいきました。小学校ではサッカーと少林寺拳法、それから女子のバレーボールしか活動してませんでした」
 
 九州でも有数のサッカーどころ、である。旧桜島町(2004年11月に鹿児島市に編入合併された)には桜州、桜峰とふたつの小学校があり、それぞれにサッカー少年団を形成していた。
 
 遠藤家のある位置は、ギリギリで前者の学区内。昭和45年の創部は鹿児島県内最古参のひとつで、昔から桜峰との「ダービーマッチ」は町全体を熱狂させるほどの盛況ぶりだったという。誰もがこぞってサッカーに興ずるそんな場所で、もはや生ける伝説ともなっているのが、遠藤三兄弟である。
 
 長男・拓哉のふたつ下が、元ヴィッセル神戸の彰弘。さらに4歳離れた三男が保仁なのだが、父の武義は“ヤット”が生を受けた日のことを今でもよく覚えているという。
 
「次こそは女の子で、ってそれは思ってましたよ(笑)。僕はその日、市内で一杯やりながら時間をつぶしていたんです。いよいよ生まれそうだって時に戻って看護婦さんに訊いたら、『元気な女の子です』ってことだったんで、安心してまたフェリーで市内に出かけたんです。そしたら間違いだったって。見事に騙されました(笑)。まあそれは冗談ですが、本当に元気な赤ちゃんでしたよ」

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