本人が望むと望まないとにかかわらず…。
いずれにしても、モンチのアナウンスがここまで大きなニュースとして取り上げられる最大の原因は、当のトッティが今なお自らの去就について沈黙を守っていることにある。
『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙や『スカイ・イタリア』の報道によれば、モンチは就任会見の前にトッティと話し合いを持ち、クラブの立場を改めて説明すると共に、この会見でそれをアナウンスすることを伝えたが、トッティはそれに対してはっきりとした返事を返さないままだったとされる。
クラブの立場がすでに明らかである以上、トッティに残された選択肢は2つしかないはずだ。引退してローマの幹部として新たなキャリアをスタートするか、プレーを続けるためにローマを去るか、そのどちらかである。
だがトッティは今なお、そのどちらの決断も下すことができずにいる。ダービー前のバルディッソーニ、そして今回のモンチの発言に、そんなトッティの「背中を押す」という狙いが込められていることは明らかだろう。
これまでパロッタ会長など首脳陣は、引退後のトッティにどんなポストを用意するかについて、明言を避けてきた。それ以前に、おそらくトッティの側にそれについて話し合う用意ができていなかったということなのだろう。
だが今回、モンチが「できる限り私の近くにいてほしい」とはっきり口にしたことで、スポーツディレクターを補佐する立場でチームの運営に携るという、大きな枠組みが提示された。あとは、これを受け入れるか、それとも現役続行にこだわるためにローマを去るか、トッティが決断を下すだけだ。
ガゼッタ・デッロ・スポルト紙のWEB版は、3日の夜に行われたラジャ・ナインゴランの誕生パーティに出席したトッティが親しいチームメイトに、「決してやってきてほしくなかったその日がとうとうやって来た」と語ったと伝えている。
本人が望むと望まないとにかかわらず、引退への花道は少しずつ準備されつつある。
文:片野道郎
【著者プロフィール】
1962年生まれ、宮城県仙台市出身。1995年からイタリア北部のアレッサンドリアに在住し、翻訳家兼ジャーナリストとして精力的に活動中だ。カルチョを文化として捉え、その営みを巡ってのフィールドワークを継続発展させている。『ワールドサッカーダイジェスト』誌では現役監督とのコラボレーションによる戦術解説や選手分析が好評を博す。ジョバンニ・ビオ氏との共著『元ACミラン専門コーチのセットプレー最先端理論』が2017年2月に刊行された。
『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙や『スカイ・イタリア』の報道によれば、モンチは就任会見の前にトッティと話し合いを持ち、クラブの立場を改めて説明すると共に、この会見でそれをアナウンスすることを伝えたが、トッティはそれに対してはっきりとした返事を返さないままだったとされる。
クラブの立場がすでに明らかである以上、トッティに残された選択肢は2つしかないはずだ。引退してローマの幹部として新たなキャリアをスタートするか、プレーを続けるためにローマを去るか、そのどちらかである。
だがトッティは今なお、そのどちらの決断も下すことができずにいる。ダービー前のバルディッソーニ、そして今回のモンチの発言に、そんなトッティの「背中を押す」という狙いが込められていることは明らかだろう。
これまでパロッタ会長など首脳陣は、引退後のトッティにどんなポストを用意するかについて、明言を避けてきた。それ以前に、おそらくトッティの側にそれについて話し合う用意ができていなかったということなのだろう。
だが今回、モンチが「できる限り私の近くにいてほしい」とはっきり口にしたことで、スポーツディレクターを補佐する立場でチームの運営に携るという、大きな枠組みが提示された。あとは、これを受け入れるか、それとも現役続行にこだわるためにローマを去るか、トッティが決断を下すだけだ。
ガゼッタ・デッロ・スポルト紙のWEB版は、3日の夜に行われたラジャ・ナインゴランの誕生パーティに出席したトッティが親しいチームメイトに、「決してやってきてほしくなかったその日がとうとうやって来た」と語ったと伝えている。
本人が望むと望まないとにかかわらず、引退への花道は少しずつ準備されつつある。
文:片野道郎
【著者プロフィール】
1962年生まれ、宮城県仙台市出身。1995年からイタリア北部のアレッサンドリアに在住し、翻訳家兼ジャーナリストとして精力的に活動中だ。カルチョを文化として捉え、その営みを巡ってのフィールドワークを継続発展させている。『ワールドサッカーダイジェスト』誌では現役監督とのコラボレーションによる戦術解説や選手分析が好評を博す。ジョバンニ・ビオ氏との共著『元ACミラン専門コーチのセットプレー最先端理論』が2017年2月に刊行された。