【黄金世代】第1回・小野伸二「快進撃と悲劇~1999年の衝撃」(♯2)

カテゴリ:Jリーグ

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2017年04月26日

あれ以降、プレーのイメージは変わりましたね。

ワールドユースでの躍進、五輪代表での大怪我、過酷なリハビリ、そしてJ2降格。浦和での2年目はまさに波瀾万丈だった。(C)SOCCER DIGEST

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 そんな1999年は、プロ2年目の小野にとって波瀾万丈の一年だった。
 
 ナイジェリアでファイナリストとなって帰国。その2か月半後、シドニー五輪・アジア予選のフィリピン戦で後方から悪質なファウルを受け、左膝の靭帯を断裂してしまう。
 
 懸命のリハビリの末、シーズン終盤に復帰を果たすも、所属する浦和レッズのJ2降格を食い止めることはできなかった。
 
「それまでに大きな怪我がなかったから、あれ以降、プレーのイメージは変わりましたね。当時感じてたサッカーのイメージとは変わってしまった。復帰してからも前のプレーに戻したい戻したいってジレンマがいつもあって、逆に悪いスパイラルにはまっていって。
 
 最後の5試合で復活したけど、(レッズの残留は)あと一歩届かなくてね。悔しかった」

 
 キャリアにおける、最大のターニングポイントだったのか。
 
「うーん、あれもひとつってところ。ターニングポイントかぁ。いっぱいありすぎて分からない(笑)。たくさんありながら、いまに至るって感じですかね」
 
<♯3に続く>
 
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
 
※5月2日配信予定の次回は、フェイエノールト移籍決定の裏話や日本代表への想いに迫るとともに、3度出場したワールドカップのメモリーを紐解きます。お見逃しなく!
 
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PROFILE
おの・しんじ/1979年9月27日生まれ、静岡県沼津市出身。小学校時代から天才少年と謳われ、13歳で年代別の日本代表に選ばれるなど異彩を放つ。清水商高時代はインターハイや全日本ユースでタイトルを獲得。1998年に鳴り物入りで浦和に入団し、そのシーズンのJリーグ新人王に輝く。99年のワールドユースで準優勝を飾ったが、その直後の大怪我で長期離脱。後遺症に苦しみ、翌年のシドニー五輪出場を逃がした。2001年夏からはフェイノールト(オランダ)に活躍の場を移し、UEFAカップ制覇など確かな足跡を残す。06年以降は浦和、ボーフム(ドイツ)、清水、ウェスタン・シドニー(オーストラリア)でプレー。そして14年春、札幌入団を果たした。04年のアテネ五輪にOA枠で出場し、ワールドカップは3度経験(98、02、06年)。国際Aマッチ通算/56試合・6得点。Jリーグ通算/209試合・72得点(うちJ1は180試合・63得点)。175㌢・76㌔。O型。データはすべて2017年4月20日現在。公式ブログはhttp://lineblog.me/shinjiono/
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