いまやスソはミランの攻撃の欠かせない中心だ。
突如としてミランのエースに伸し上がったスソとは、一体何者なのか? 昨シーズンまではベンチに座る時間が大半だったため、イタリアでもそこまで知られた存在ではなかった。
地元カディスの下部組織で育ち、レアル・マドリーやバルセロナからもオファーを受けたが、2010年に16歳でリバプールと契約。決定打となったのが、その才能に惚れ込んだ同じスペイン人のラファエル・ベニテス(現ニューカッスル監督)の熱心な勧誘だった。
しかし、リバプールに来た時にそのベニテスがちょうど退団し、トップチームにはなかなか定着できず。アルメリアへのローン移籍を経て、2015年1月にアドリアーノ・ガッリアーニ副会長がミランに連れてきた。それから今年1月までの1年間でプレーしたのは8試合、うち4試合が途中出場でゴールは0だった。
しかし、1月にジェノアにレンタルされると状況は一変。19試合で6ゴール・2アシストと見事な成績を残し、今夏には自信と経験を身に付けてミランに戻ってきた。
年齢はデルビーの直前に23歳になったばかりと若く、2012年にはスペインU-19代表の一員として、U-19ヨーロッパ選手権で優勝を経験。当時の指揮官が現スペイン代表監督のジュレン・ロペテギで、最近の大活躍によりいよいよA代表入りも現実味を帯びているという。
本田にとってスソは、あまりにも手強い相手だ。ミランがここ5試合で挙げた6ゴールのうち、スソが5つに絡んでいる(3ゴール・2アシスト)という事実だけでも、それがよく分かるだろう。このスペイン人アタッカーはいまや、ミランの攻撃の欠かせない中心なのだ。
デルビーを含めたここ最近のスソの抜きん出た活躍ぶり――。それはまさに本田にとっての致命打だ。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
地元カディスの下部組織で育ち、レアル・マドリーやバルセロナからもオファーを受けたが、2010年に16歳でリバプールと契約。決定打となったのが、その才能に惚れ込んだ同じスペイン人のラファエル・ベニテス(現ニューカッスル監督)の熱心な勧誘だった。
しかし、リバプールに来た時にそのベニテスがちょうど退団し、トップチームにはなかなか定着できず。アルメリアへのローン移籍を経て、2015年1月にアドリアーノ・ガッリアーニ副会長がミランに連れてきた。それから今年1月までの1年間でプレーしたのは8試合、うち4試合が途中出場でゴールは0だった。
しかし、1月にジェノアにレンタルされると状況は一変。19試合で6ゴール・2アシストと見事な成績を残し、今夏には自信と経験を身に付けてミランに戻ってきた。
年齢はデルビーの直前に23歳になったばかりと若く、2012年にはスペインU-19代表の一員として、U-19ヨーロッパ選手権で優勝を経験。当時の指揮官が現スペイン代表監督のジュレン・ロペテギで、最近の大活躍によりいよいよA代表入りも現実味を帯びているという。
本田にとってスソは、あまりにも手強い相手だ。ミランがここ5試合で挙げた6ゴールのうち、スソが5つに絡んでいる(3ゴール・2アシスト)という事実だけでも、それがよく分かるだろう。このスペイン人アタッカーはいまや、ミランの攻撃の欠かせない中心なのだ。
デルビーを含めたここ最近のスソの抜きん出た活躍ぶり――。それはまさに本田にとっての致命打だ。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。