激しいプレースタイルと、数々の“ケンカ伝説”から、一歩も譲らない武闘派として知られたが――
日本代表では2012年に、それまで18番を付けていた本田圭佑に譲っている。本田はこれまでに何度かその経緯をメディアで話しており、栗原氏としては、自身の名前が挙がり、非常に嬉しく思っているようだ。
「まず1つ言えることは、4番は僕の番号ではないです。『4番が自分の番号だ』。そんなおこがましいことは言えないです。彼は日本のエースで、バリバリ本田圭佑だ!という感じの時に…最初は駒野(友一)さんの3番を狙っていました。でも駒さんは代表でもレジェンドで、3番のこだわりが強くて断っていたので、今度は4番に目をつけて『ちょっと勇蔵さん、4番付けたいんですけど』と言われました。僕は代表で4番を付けて結果を出したわけではないので、本田さんに言われたら、もちろん、『付けてください』と。即答です。
例えばF・マリノスで言われたら、ちょっと考えていたかもしれないですが、日本代表では4番で定着していたわけでもないですし、定着するほど選ばれたわけではないので。やはり主力の選手が付けたい番号を付ける方が良いし、そこで譲ったことによって、こういう風に自分の名前が出てくるだけでも良かったなと思います(笑)」
「まず1つ言えることは、4番は僕の番号ではないです。『4番が自分の番号だ』。そんなおこがましいことは言えないです。彼は日本のエースで、バリバリ本田圭佑だ!という感じの時に…最初は駒野(友一)さんの3番を狙っていました。でも駒さんは代表でもレジェンドで、3番のこだわりが強くて断っていたので、今度は4番に目をつけて『ちょっと勇蔵さん、4番付けたいんですけど』と言われました。僕は代表で4番を付けて結果を出したわけではないので、本田さんに言われたら、もちろん、『付けてください』と。即答です。
例えばF・マリノスで言われたら、ちょっと考えていたかもしれないですが、日本代表では4番で定着していたわけでもないですし、定着するほど選ばれたわけではないので。やはり主力の選手が付けたい番号を付ける方が良いし、そこで譲ったことによって、こういう風に自分の名前が出てくるだけでも良かったなと思います(笑)」
攻撃的な選手の本田はなぜ、守備的なイメージの3番や4番を望んだのだろうか。
「『攻撃的な選手なのにディフェンス的な番号を付けたかった』ということを言っていたような。昔、ガーナ代表のフォワード、アサモア・ギャンが3番を付けていたので、そういうイメージだったのかな。人と違うことをやりたいという考え方を持っていましたし、なにしろ1番バリバリの時だったので、ものすごい人気で、何をやっても正解にする雰囲気がありました。当時も背番号の変更は話題になったので、良かったなと思います」
激しいプレースタイルと、数々の“ケンカ伝説”から、一歩も譲らない武闘派として知られた栗原氏だが、譲る時は譲る。リスペクトが感じられる裏話となった。
ちなみに、横浜DeNAベイスターズの三浦大輔氏と並び、「ハマの番長」の異名を取った栗原氏は、自身のキャラクターについて、こう語っている。
「やはり若い時は、『なめられたくないな』と。自分の実力を認めてもらうために、虚勢を張ったりすることもありましたし、負けたくない気持ちがすごく強かったので、武闘派と言われる意味も分かりました。ただ、ベテランになってからは若干、精神的にも落ち着いてきたので、少し恥ずかしいところもありましたよね。
プレースタイルはもちろん激しくですが、それ以外のところでの激しさは多分なくなったと思うので、そういう意味では小っ恥ずかしいところもあったのかなと思います」
武闘派はもう昔の話。インタビューを通じて、話口調も物腰も実に柔らかかった。
※第3回終了(全5回)
取材・構成●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)
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「『攻撃的な選手なのにディフェンス的な番号を付けたかった』ということを言っていたような。昔、ガーナ代表のフォワード、アサモア・ギャンが3番を付けていたので、そういうイメージだったのかな。人と違うことをやりたいという考え方を持っていましたし、なにしろ1番バリバリの時だったので、ものすごい人気で、何をやっても正解にする雰囲気がありました。当時も背番号の変更は話題になったので、良かったなと思います」
激しいプレースタイルと、数々の“ケンカ伝説”から、一歩も譲らない武闘派として知られた栗原氏だが、譲る時は譲る。リスペクトが感じられる裏話となった。
ちなみに、横浜DeNAベイスターズの三浦大輔氏と並び、「ハマの番長」の異名を取った栗原氏は、自身のキャラクターについて、こう語っている。
「やはり若い時は、『なめられたくないな』と。自分の実力を認めてもらうために、虚勢を張ったりすることもありましたし、負けたくない気持ちがすごく強かったので、武闘派と言われる意味も分かりました。ただ、ベテランになってからは若干、精神的にも落ち着いてきたので、少し恥ずかしいところもありましたよね。
プレースタイルはもちろん激しくですが、それ以外のところでの激しさは多分なくなったと思うので、そういう意味では小っ恥ずかしいところもあったのかなと思います」
武闘派はもう昔の話。インタビューを通じて、話口調も物腰も実に柔らかかった。
※第3回終了(全5回)
取材・構成●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)
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