「自分を変えるきっかけになった選手」はワシントン
横浜で生まれ、横浜で育ち、そして今も――。栗原勇蔵氏のキャリアは、紛れもなくトリコロール一色だ。
現在41歳の栗原氏は、中学1年生だった1996年に横浜F・マリノスのアカデミーに加入し、2002年にトップチームに昇格。それ以来CBとして、屈強なフィジカルと闘争心を前面に押し出したプレーを続け、自身15年ぶり3度目のJ1リーグ制覇を果たした2019年にユニホームを脱ぐまで、F・マリノス一筋で446試合に出場した。
日本代表としても活躍。2006年にイビチャ・オシム監督から初招集を受けた後、主にアルベルト・ザッケローニ監督の下で代表キャリアを築き、20キャップをマークした。
現役引退後は、F・マリノスのクラブシップ・キャプテンとして、ファン・サポーターにより近い立場で活動を続けていたが、今年からチーム統括本部のスタッフに。5年ぶりに現場に復帰し、自身の経験を還元する日々を送るなか、話を訊いた。
【#1】優勝とともに引退から5年。コロナに翻弄され――栗原勇蔵の今。なぜ再び“前線”に立つのか「自分に何ができるかを考えた」
【#2】「移籍を考えたことは“ほぼ”ない」今もF・マリノス一筋の栗原勇蔵が明かす真実。ワンクラブマン、レジェンド、横浜市、海外からオファーの話
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現在41歳の栗原氏は、中学1年生だった1996年に横浜F・マリノスのアカデミーに加入し、2002年にトップチームに昇格。それ以来CBとして、屈強なフィジカルと闘争心を前面に押し出したプレーを続け、自身15年ぶり3度目のJ1リーグ制覇を果たした2019年にユニホームを脱ぐまで、F・マリノス一筋で446試合に出場した。
日本代表としても活躍。2006年にイビチャ・オシム監督から初招集を受けた後、主にアルベルト・ザッケローニ監督の下で代表キャリアを築き、20キャップをマークした。
現役引退後は、F・マリノスのクラブシップ・キャプテンとして、ファン・サポーターにより近い立場で活動を続けていたが、今年からチーム統括本部のスタッフに。5年ぶりに現場に復帰し、自身の経験を還元する日々を送るなか、話を訊いた。
【#1】優勝とともに引退から5年。コロナに翻弄され――栗原勇蔵の今。なぜ再び“前線”に立つのか「自分に何ができるかを考えた」
【#2】「移籍を考えたことは“ほぼ”ない」今もF・マリノス一筋の栗原勇蔵が明かす真実。ワンクラブマン、レジェンド、横浜市、海外からオファーの話
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積み重ねた446試合。それにアンダー世代も込みで日本代表戦を含めれば、プロサッカー選手としてピッチに立ったのは約500試合となる。ただ――。栗原氏自身が「最も印象に残っている試合」は、その中に含まれていない。
「やはりデビューの時もそうですが…辞める時。メンバー外でしたが、2019年12月のJ1リーグ最終節が1番印象に残っています。(自身の引退と優勝)セレモニーもセットで。優勝して終えられたことを考えると、あの試合は特に印象深いです」
名だたる猛者と対峙したなかで、最も手強かった相手は…即答だった。東京ヴェルディと浦和レッズでゴールを量産した元ブラジル代表FWだ。
「自分の中ではやはり、ワシントンです。かなりやられました。自分のストロングポイントは、フィジカル的なところでしたが、何をしても、どんな角度で当たっても勝てなくて、『こういう選手が世界にはいるんだ』と感じました。そういう経験をして、恐怖も覚えて、『これでは足りないんだ』と痛感させられ、自分を変えるきっかけになった選手でもあります」
【栗原勇蔵PHOTO】F・マリノス一筋!リーグ優勝とともにピッチを去り、天国の松田氏にも…
「やはりデビューの時もそうですが…辞める時。メンバー外でしたが、2019年12月のJ1リーグ最終節が1番印象に残っています。(自身の引退と優勝)セレモニーもセットで。優勝して終えられたことを考えると、あの試合は特に印象深いです」
名だたる猛者と対峙したなかで、最も手強かった相手は…即答だった。東京ヴェルディと浦和レッズでゴールを量産した元ブラジル代表FWだ。
「自分の中ではやはり、ワシントンです。かなりやられました。自分のストロングポイントは、フィジカル的なところでしたが、何をしても、どんな角度で当たっても勝てなくて、『こういう選手が世界にはいるんだ』と感じました。そういう経験をして、恐怖も覚えて、『これでは足りないんだ』と痛感させられ、自分を変えるきっかけになった選手でもあります」
【栗原勇蔵PHOTO】F・マリノス一筋!リーグ優勝とともにピッチを去り、天国の松田氏にも…