“人は人”、“自分は自分”
「前の年のプレー映像を見せられたんです。軽いプレーやボールを受けようとしないプレーを指摘されて、『これ、なんだ?』みたいな感じで言われて」
守備面ではガツガツいく一方で、攻撃面ではビビってしまう。逃げるようなプレーの根底にあったのは何だったのか。指揮官の指摘にハッと気づかされた。
「自分のプレーだけをやっていればいい。自分のポジションだけでいい。そう思っていましたから。(自分ができること以上に)欲張って、ミスをして失点に関わるのは嫌。つまり逃げのプレーですよね。できる範疇だけで、なんとかやろうとしていたんです」
そこから川﨑は意識を変えたが、思うようにプレーができない。
「練習から常にチャレンジするようにして、ボールを受ける怖さは徐々になくなってはいましたけど、やっぱり攻撃センスが全然ないなと思っていました。自分が試合に出ても、相手に押し込まれる展開であれば、自分の守備力が活かされるからいいと思うけど、相手が引いて守りを固めてくるのであれば、自分よりも庄司(悦大/現・岐阜)さんのほうが良いプレーができると感じましたから。やっぱり庄司さんが試合に出たほうがボールを散らせるから、自分が出ないほうがいいと思ってサッカーをしている時期もありましたね。その頃は辛かったです」
シーズン序盤からもがき苦しみ、「チームのリズムを止めている感じがすごくするし、周りに迷惑をかけている感覚があった」という。しかし、そこから積み重ねて、“人は人”、“自分は自分”と思えるようになっていくと、プレーが変わり始めていく。
後半戦に入る頃には自信を掴んで堂々とプレーできるようになり、J2リーグで41試合に出場を果たす。ルーキーイヤーは16試合の出場に留まっており、2年目の活躍は大きな前進だった。
守備面ではガツガツいく一方で、攻撃面ではビビってしまう。逃げるようなプレーの根底にあったのは何だったのか。指揮官の指摘にハッと気づかされた。
「自分のプレーだけをやっていればいい。自分のポジションだけでいい。そう思っていましたから。(自分ができること以上に)欲張って、ミスをして失点に関わるのは嫌。つまり逃げのプレーですよね。できる範疇だけで、なんとかやろうとしていたんです」
そこから川﨑は意識を変えたが、思うようにプレーができない。
「練習から常にチャレンジするようにして、ボールを受ける怖さは徐々になくなってはいましたけど、やっぱり攻撃センスが全然ないなと思っていました。自分が試合に出ても、相手に押し込まれる展開であれば、自分の守備力が活かされるからいいと思うけど、相手が引いて守りを固めてくるのであれば、自分よりも庄司(悦大/現・岐阜)さんのほうが良いプレーができると感じましたから。やっぱり庄司さんが試合に出たほうがボールを散らせるから、自分が出ないほうがいいと思ってサッカーをしている時期もありましたね。その頃は辛かったです」
シーズン序盤からもがき苦しみ、「チームのリズムを止めている感じがすごくするし、周りに迷惑をかけている感覚があった」という。しかし、そこから積み重ねて、“人は人”、“自分は自分”と思えるようになっていくと、プレーが変わり始めていく。
後半戦に入る頃には自信を掴んで堂々とプレーできるようになり、J2リーグで41試合に出場を果たす。ルーキーイヤーは16試合の出場に留まっており、2年目の活躍は大きな前進だった。
3年目に入ると、前年のパフォーマンスが評価され、3月にU-22日本代表に選出。前述の通り、苦い経験を味わったが、そこから再びギアを入れ直す。1年を通じて安定したパフォーマンスを発揮し、気がつけば京都で中心的な役割を担う選手に成長を遂げた。
すると、シーズンが終わったタイミングで指揮官にまたしても呼ばれ、こう告げられた。
「キャプテンをやらせようと思うんだけど」
指揮官のゲキから2年。逃げずに戦ってきた男は名実ともにチームを引っ張る存在になった。
「自分としては任せてもらう嬉しさがあった。他にもキャプテンに相応しい人がいたかもしれないけど、チームを見渡した時に自分がやるしかない気持ちになった」
新たなスタートを切る川﨑だったが、迎えた2023年シーズンは、また違った苦しみを味わう。しかし、そんな事になるなど、まだ気がついていなかった。
※本稿は前編。後編は9月21日に公開予定です。
取材・文●松尾祐希(サッカーライター)
甲府から京都へ、15歳で立った重要な岐路。“王様”からチームのために戦える選手に変貌【パリの灯は見えたか|vol.4 川﨑颯太】
「最大のスターであるミトマがいる」三笘薫には“バルサの元10番”ファティも敵わない? 母国紙が定位置争いに見解「左ウイングでプレーするのは難しい」
すると、シーズンが終わったタイミングで指揮官にまたしても呼ばれ、こう告げられた。
「キャプテンをやらせようと思うんだけど」
指揮官のゲキから2年。逃げずに戦ってきた男は名実ともにチームを引っ張る存在になった。
「自分としては任せてもらう嬉しさがあった。他にもキャプテンに相応しい人がいたかもしれないけど、チームを見渡した時に自分がやるしかない気持ちになった」
新たなスタートを切る川﨑だったが、迎えた2023年シーズンは、また違った苦しみを味わう。しかし、そんな事になるなど、まだ気がついていなかった。
※本稿は前編。後編は9月21日に公開予定です。
取材・文●松尾祐希(サッカーライター)
甲府から京都へ、15歳で立った重要な岐路。“王様”からチームのために戦える選手に変貌【パリの灯は見えたか|vol.4 川﨑颯太】
「最大のスターであるミトマがいる」三笘薫には“バルサの元10番”ファティも敵わない? 母国紙が定位置争いに見解「左ウイングでプレーするのは難しい」