【ルーツ探訪】太田宏介の“知られざる感動秘話”。ゴールなき母親孝行

カテゴリ:Jリーグ

白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

2015年12月16日

横浜FCでの「DF登録」には、兄も親友も驚きを隠せなかった。

横浜FC時代にはCBの経験も。在籍3年目は、左SBとしてJ2の31試合に出場した。(C)SOCCER DIGEST

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 そうした向上心が、結果的にプロへの扉を開く。「うちでやってみないか」と誘ってくれたのは、当時J2に属していた横浜FCだ。

 プロ野球のドラフトで言えば、最下位での指名だったという。ここでも底辺からのスタートを余儀なくされたが、決してネガティブに捉えていなかった。これでようやく、お母さんに恩返しができるようになる。心に広がったのは、「嬉しい」という感情だった。

 実は高校卒業後の進路を決める際、母親に「大学に行きたかったら、ちゃんと通わせてあげるよ。親の事情は気にしないでね」と言われた。しかし、宏介は首を縦に振らなかった。母親の苦労を考えると、このタイミングでプロの道に進むのがベストだと思っていたのだ。当時の心境を、母・祐子が綴る。

「だいぶ時間が経った後に宏介のその想いを聞いた時は泣けました。私の離婚が原因で子どもの選択肢を狭めて、可哀想なことをしてしまったと思っていましたから。でも、大哉も宏介も愚痴なんてひとつもこぼさない。『あの離婚があったからこそ頑張れた』と言ってくれるんです」

 18歳の頃からだろうか、宏介は兄の大哉と将来設計についてよく話すようになった。語り場は銭湯だった。

「ふたりで銭湯に行って、結構具体的な話をしましたよ。弟が高校に通っている頃にこう言ったのを覚えています。『俺は独立して、お前はプロになって成功しよう』って。働くフィールドはまるで違いますが、母を楽にさせたいという到達点は同じでしたから、宏介とは良きライバルでもありました」(大哉)

 プロ1年目、宏介は貯金もままならない状況で、大哉と一大決心をする。兄の名義で、母親のためにマンションを購入したのだ。

「もちろんリスクはあったと思いますが、大きな買い物をして自分たちにあえてプレッシャーを掛けました。もっと頑張ろうって」(宏介)

「弟に限らず、僕も収入なんてほとんどなかった。それでも、アパート暮らしから抜け出し、もっと良い家に母親を住ませてあげたい気持ちが強かったです。母親を幸せにしたいというのは願望ではなく、兄弟ふたりの使命でしたから」(大哉)

 ただし、プロの世界は厳しかった。ガムシャラに頑張るだけでは通用しなかった。

「高校で培った自信は脆くも砕け散りました。なにをやっても通用しない。先輩たちに怒られて何度も泣いていましたし、練習に行きたくない時期もありました。そういう状態でしたから、プレーもメンタルもボロボロでした」(宏介)

 実力を発揮できなかった原因は、登録ポジションにもあったのだろう。高校時代は攻撃力全開だった宏介が、横浜FCではDF扱い。これには兄も親友たちも驚きを隠せなかった。

「高校時代に、ディフェンスをやっていたイメージはまるでありませんでした。だから、JリーグでDF登録されたのを知った時は最初、『えっ!?』と思いました」(高野)

「本人もビックリしていました。それでも、『すがりたい』と言っていましたね。与えられたポジションで頑張りたいと」(大哉)
 

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