あまりの激しい特訓にも、泣きながら「まだできます」。

日本代表では、10年の南アフリカ大会、14年のブラジル大会と二度のワールドカップを経験。今や不動のエースと言っても過言ではなく、周囲からも厚い信頼を寄せられている。(C)SOCCER DIGEST
以前、サッカーダイジェスト誌のインタビューで、「自分のボールには『ボレー禁止』と書いてあった」と岡崎は話してくれたが、その真相はどうだったのか?
「ホンマですね。彼のボールにだけ書きました。低いボールを足で処理したら、罰として、ダッシュ2周とか。そのかわり、強引にヘッドでシュートに行って外れても、思い切りの良いプレーということでOKでした」(山村)
基本的な部分も含め、すでに高いレベルにあった岡崎には、他の子よりも少しだけ“意地悪”をして鍛えたことも。そのひとつに、岡崎が後年、「あんな練習、見たこともなければ、思いつく人もいない(笑)」と振り返るヘディング練習がある。あまりの激しさに、岡崎は思わず涙を流すほどだった。
「ヘディングが鍛えられて、根性もつく練習をやろうと思って。生徒をゴールマウスに立たせて、俺がPKを蹴るからヘディングでクリアしろ、と」(山村)
他の子にはそれなりのキックだったが、岡崎だけには「8割、ヘタしたらMAX」のパワーで、ヘッドできるかできないかの微妙なところに蹴り込む。当然ながら、岡崎のヘディングの技術が高いのを知っているからこその特訓だった。
「泣いても、放っておきました。『根性ないのー』って。そう言うと、シンジもムカってきて『まだ、できます』とやり出す。痛いとは言うけど、辞めたいとは絶対に言わない。泣きながらやってましたね」
負けず嫌いな一面が見て取れるエピソードは、まだある。岡崎が1点、他の子が2点を取って、3-0で勝った試合があった。勝利を喜ぶ一方で、どこか釈然としない岡崎がいた。
「なんの根拠か知らんけど、『オレが本気やったら、もっと取れてた』って言うんですよ。練習を休まなかったのも、そう。うちのチームは皆勤賞を設けていたけど、誰かに負けるのがイヤで、シンジも休まずに来てたんでしょうね」
厳しい指導の下、「サムライ道」を極めていく日々。冬の寒い日に、スライディングしてどれだけ“お好み焼き”(モモにできるスリ傷)を作れるかを競わせれば、3つほど作ってきて得意気な表情を見せる。雨が降れば、水たまりを使ってのダイビングヘッドの練習で、「オレはここまでやったでー」と、胸元をビチャビチャに濡らしながら、勢いよくまた飛び込んでみせる。
「気持ちのええ子でしたよ。義理がたいところも“サムライ魂”がある証拠」
そう語る山村は、関西で開催される清水(編集部・注/05~10年まで所属)の試合は、ほぼ全部観てきた。そのほとんどが負けるか、引き分けだったが、ようやく岡崎がゴールを決めて勝った時には、「コーチの前で点を取れたのが一番嬉しかった」と言われた。
また、岡崎がプロになりたての頃、チームから支給されるジャージをプレゼントされた。「けっこう、いいでしょ」と手渡されたジャージには真新しいサインが入っていた。
「ほとんどサインなんてしたことがなかったんでしょうね。文字が途中でつまっているというか、明らかに考えて書いてるのがバレバレ(笑)。でも、嬉しかったですね」
「ホンマですね。彼のボールにだけ書きました。低いボールを足で処理したら、罰として、ダッシュ2周とか。そのかわり、強引にヘッドでシュートに行って外れても、思い切りの良いプレーということでOKでした」(山村)
基本的な部分も含め、すでに高いレベルにあった岡崎には、他の子よりも少しだけ“意地悪”をして鍛えたことも。そのひとつに、岡崎が後年、「あんな練習、見たこともなければ、思いつく人もいない(笑)」と振り返るヘディング練習がある。あまりの激しさに、岡崎は思わず涙を流すほどだった。
「ヘディングが鍛えられて、根性もつく練習をやろうと思って。生徒をゴールマウスに立たせて、俺がPKを蹴るからヘディングでクリアしろ、と」(山村)
他の子にはそれなりのキックだったが、岡崎だけには「8割、ヘタしたらMAX」のパワーで、ヘッドできるかできないかの微妙なところに蹴り込む。当然ながら、岡崎のヘディングの技術が高いのを知っているからこその特訓だった。
「泣いても、放っておきました。『根性ないのー』って。そう言うと、シンジもムカってきて『まだ、できます』とやり出す。痛いとは言うけど、辞めたいとは絶対に言わない。泣きながらやってましたね」
負けず嫌いな一面が見て取れるエピソードは、まだある。岡崎が1点、他の子が2点を取って、3-0で勝った試合があった。勝利を喜ぶ一方で、どこか釈然としない岡崎がいた。
「なんの根拠か知らんけど、『オレが本気やったら、もっと取れてた』って言うんですよ。練習を休まなかったのも、そう。うちのチームは皆勤賞を設けていたけど、誰かに負けるのがイヤで、シンジも休まずに来てたんでしょうね」
厳しい指導の下、「サムライ道」を極めていく日々。冬の寒い日に、スライディングしてどれだけ“お好み焼き”(モモにできるスリ傷)を作れるかを競わせれば、3つほど作ってきて得意気な表情を見せる。雨が降れば、水たまりを使ってのダイビングヘッドの練習で、「オレはここまでやったでー」と、胸元をビチャビチャに濡らしながら、勢いよくまた飛び込んでみせる。
「気持ちのええ子でしたよ。義理がたいところも“サムライ魂”がある証拠」
そう語る山村は、関西で開催される清水(編集部・注/05~10年まで所属)の試合は、ほぼ全部観てきた。そのほとんどが負けるか、引き分けだったが、ようやく岡崎がゴールを決めて勝った時には、「コーチの前で点を取れたのが一番嬉しかった」と言われた。
また、岡崎がプロになりたての頃、チームから支給されるジャージをプレゼントされた。「けっこう、いいでしょ」と手渡されたジャージには真新しいサインが入っていた。
「ほとんどサインなんてしたことがなかったんでしょうね。文字が途中でつまっているというか、明らかに考えて書いてるのがバレバレ(笑)。でも、嬉しかったですね」