“暴君”の下で身体を鍛え、道徳を学ぶ。
この引っ越しで、当時、所属していた宝塚ジュニアFCは自宅から遠くなったが、電車を乗り継いで通った。家の鍵を忘れた時は、学校から帰ると玄関の前にランドセルを置き、体操服のまま電車に乗り込んだ。胸には「岡崎」と書いてあるピチピチの体操服に短パンで、ためらいもなく改札をくぐる。
「友達のお母さんから聞いたんですけどね。よくそんな格好で電車に乗れたというか(笑)。見た目とかオシャレとか、全然気にしないんですよ」
苦笑する富美代は、ある日、髪を切りに行った岡崎がヘコんで帰ってきたのを目撃した。理由を聞けば、眉毛を整えられたのが相当にショックだったらしい。
「昔は、眉毛を一ミリでも切られるのがイヤだったみたいで。野性児というか、ありのままの姿が好きみたい。ホンマは面倒くさいだけやと思うんですけど(笑)」
大好きなサッカーの練習のためなら、身なりなどどうでもよかったのだろう。
「あいつはサッカーさえできたら、それでいいんですよ」
宝塚ジュニアFCで岡崎を小学2年から中学3年まで指導した山村俊一も、体操服で練習に来る岡崎を記憶している。
「着るものに無頓着で、履いたソックスさえ洗濯に出さんから、汚れたユニホームやらでカバンがどんどん大きくなっていく。『コーチ、着るのがないわ!』と言われても、そら、ないやろなって」
岡崎と初めて会った時の第一印象は「鼻たらして、小汚くて、お前、誰やねん(笑)」だった。その見た目どおり、当時から“泥臭い”プレーを厭わない岡崎に、山村は「這いつくばってでも、なんでもいいから絡んでいけ」と教え込んだ。
サムライ・スピリット――。
岡崎自らが「僕の原点」と言う恩師との出会いで、サムライ魂はいよいよ磨かれていくことになる。
山村は親しみと愛情を込めて、今でも教え子たちを“俺の下僕たち”と呼ぶ。その姿は、まさに“暴君”。「あいつらには、すべてを注ぎ込んだ」と言う当時の練習内容は厳しく、そしてユニークだった。
夏の暑い日、精神統一の練習と称して、コンクリートの上で正座をさせて黙とう。2月14日には、「チョコをもらえなかったら罰ゲーム」とプレッシャーをかけた。またある時は、生徒を朝礼台に立たせ、山村自身は遠く離れ、大きな声で好きな子を叫ばせる。聞こえなかったら、もう一回。
「子どもらはイヤやったと思いますよ。シュート練習の球出しでも、絶対に届かないボールを出しておいて、追いつけるやろ! と怒鳴ってましたし。陰で『出たよ、暴君』とか言われていたと思います(笑)」
しかし、山村の指導はフットボーラーとしてだけでなく、人として、男として磨きをかけるには最高のものだった。曲がったことは許さない。手を抜いたら、すかさず怒鳴りつける。根性の入ってないプレーをしたら即交代。誰かを仲間外れにしたら、全員を厳しく叱りつける。上手な子が下手な子の面倒を見るのは、当たり前。
「身体を鍛えるのと、道徳を教えるのがお前の仕事だ」という父の教えを守った山村は、全身全霊で子どもたちの指導にあたった。
「シンジは、当時のキャプテンと今でも仲が良くて、一緒に他の子の面倒をよう見とりましたね」(山村)
「友達のお母さんから聞いたんですけどね。よくそんな格好で電車に乗れたというか(笑)。見た目とかオシャレとか、全然気にしないんですよ」
苦笑する富美代は、ある日、髪を切りに行った岡崎がヘコんで帰ってきたのを目撃した。理由を聞けば、眉毛を整えられたのが相当にショックだったらしい。
「昔は、眉毛を一ミリでも切られるのがイヤだったみたいで。野性児というか、ありのままの姿が好きみたい。ホンマは面倒くさいだけやと思うんですけど(笑)」
大好きなサッカーの練習のためなら、身なりなどどうでもよかったのだろう。
「あいつはサッカーさえできたら、それでいいんですよ」
宝塚ジュニアFCで岡崎を小学2年から中学3年まで指導した山村俊一も、体操服で練習に来る岡崎を記憶している。
「着るものに無頓着で、履いたソックスさえ洗濯に出さんから、汚れたユニホームやらでカバンがどんどん大きくなっていく。『コーチ、着るのがないわ!』と言われても、そら、ないやろなって」
岡崎と初めて会った時の第一印象は「鼻たらして、小汚くて、お前、誰やねん(笑)」だった。その見た目どおり、当時から“泥臭い”プレーを厭わない岡崎に、山村は「這いつくばってでも、なんでもいいから絡んでいけ」と教え込んだ。
サムライ・スピリット――。
岡崎自らが「僕の原点」と言う恩師との出会いで、サムライ魂はいよいよ磨かれていくことになる。
山村は親しみと愛情を込めて、今でも教え子たちを“俺の下僕たち”と呼ぶ。その姿は、まさに“暴君”。「あいつらには、すべてを注ぎ込んだ」と言う当時の練習内容は厳しく、そしてユニークだった。
夏の暑い日、精神統一の練習と称して、コンクリートの上で正座をさせて黙とう。2月14日には、「チョコをもらえなかったら罰ゲーム」とプレッシャーをかけた。またある時は、生徒を朝礼台に立たせ、山村自身は遠く離れ、大きな声で好きな子を叫ばせる。聞こえなかったら、もう一回。
「子どもらはイヤやったと思いますよ。シュート練習の球出しでも、絶対に届かないボールを出しておいて、追いつけるやろ! と怒鳴ってましたし。陰で『出たよ、暴君』とか言われていたと思います(笑)」
しかし、山村の指導はフットボーラーとしてだけでなく、人として、男として磨きをかけるには最高のものだった。曲がったことは許さない。手を抜いたら、すかさず怒鳴りつける。根性の入ってないプレーをしたら即交代。誰かを仲間外れにしたら、全員を厳しく叱りつける。上手な子が下手な子の面倒を見るのは、当たり前。
「身体を鍛えるのと、道徳を教えるのがお前の仕事だ」という父の教えを守った山村は、全身全霊で子どもたちの指導にあたった。
「シンジは、当時のキャプテンと今でも仲が良くて、一緒に他の子の面倒をよう見とりましたね」(山村)