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稀代のテクニシャンはいかにして作られたのか?「俺の原点」習志野高から日本代表への飛躍まで【玉田圭司ストーリー・前編】

カテゴリ:Jリーグ

元川悦子

2021年12月25日

2006年ドイツW杯、ブラジル戦は「試合前も試合中もホントに楽しかった」

ドイツW杯が行なわれた2006年には名古屋へ移籍。新天地でも躍動を見せた。写真:サッカーダイジェスト

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「1次リーグは自分のプレーを全く出せなかった。ジーコは使い続けてくれたけど、得点は取れてなかった。周りには悩んでるように見えたんだろうね。ある時、アツさん(三浦淳宏=神戸監督)さんが『FWって90分の中で1点取ればいいんだよ』と声をかけてくれたんです。それで気が楽になり、開き直れて、準決勝のバーレーン戦で2点を取れたんです。代表に入った直後も柏の先輩・土肥洋一さん(山口GKコーチ)さんや藤田俊哉さん(JFA強化部員)も気にかけてくれた。ベテランの人たちのサポートは大きかったですね」
 
 玉田はのちにしみじみと語ったが、この経験は30代で移籍したセレッソ大阪や長崎で大いに生かされた。「若い頃はドリブルとか自分のスタイルだけを追求していたけど、年々チームのことを考えるようになった」と語るように、サッカーやチームの捉え方に変化が生じたのは確かだろう。

 ただ、2006年ドイツW杯のブラジル戦で世界を震撼させる先制弾を叩き出した頃は、「自分の力を示したい」という思いの方が強かったという。

「あの時は正直、全く緊張しなかったね。ブラジル相手にスタメンで出られるんだから、『もうやってやろう』という気持ちしかなかった。試合前も試合中もホントに楽しかった。あの舞台でブラジル相手に取ったのは、意味あることなのかなと思います」

 そのゴールが得意の左45度からの一撃だったのは特筆すべき点。筆者は「玉田ゾーン」と呼んでいるが、ペナルティエリアギリギリのところから左アウトで運んで打つという彼ならではの形は確かにあった。「絶対にこれだけは負けない」という傑出した武器があったからこそ、彼は大舞台でゴールを奪い、20年以上のプロキャリアを続けることができた。「オンリーワンの武器」に磨きをかけることこそ、プロとして成功する最重要ポイントだ。

 その重要性を稀代のレフティ・玉田圭司は自らしっかりと実証してくれた。(文中敬称略)

※中編に続く。次回は12月26日(日)に公開。

取材・文●元川悦子(フリーライター)
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