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稀代のテクニシャンはいかにして作られたのか?「俺の原点」習志野高から日本代表への飛躍まで【玉田圭司ストーリー・前編】

カテゴリ:Jリーグ

元川悦子

2021年12月25日

2003年の二桁ゴールでブレイクし日本代表入り

ブラジル戦では強烈な左足のシュートで先制点をゲット。日本中を沸かせた。(C) Getty Images

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 隠れた逸材に目を付けたのが、柏レイソル。当時の久米一正GM(故人)、宮本行宏スカウト(現代理人)らが彼を高く評価。熱烈なオファーを出し、99年の入団が決まった。当時の柏は西野朗監督の下、明神智和(ガンバ大阪ユースコーチ)、北嶋秀朗(大宮コーチ)ら有望な若手を育て、タイトルを獲れるクラブにしようと躍起になっていた頃。玉田もその重要なピースの1人と位置づけられ、期待された。

「レイソルに入った頃はまだまだ子どもだったし、プロとはどんなものか分からなったけど、本当に素晴らしい選手がいて、いろんなことを教わった。筆頭がストイチコフ(元ブルガリア代表)と洪明甫(蔚山現代監督)。自分から話しかけに行っていじられたりもしたけど、可愛がってもらったし、選手としても認めてもらえた。いい経験になりました」
 
 本人もこう述懐しているが、同じレフティとして世界を魅了したストイチコフの一挙手一投足は特に刺激を受けたはず。ともにプレーしたのは半年足らずだったが、左足1本で勝負を決めてしまう世界的スターの頭抜けた個には圧倒されたに違いない。時には西野監督にも強い要求をするなど「ピッチ上の指揮官」として振る舞った部分も含め、オーラは凄まじかった。そういう選手と短期間でも共演できたのは、彼の大きな財産になった。

 柏の主軸に成長するきっかけを掴んだのは2002年。個人能力重視のマルコ・アウレリオ監督が埋もれていた玉田を抜擢。2003年は28試合出場11ゴールと初めて2ケタ得点を挙げる。日本人選手としては久保竜彦、大久保嘉人に次ぐ3位で、日本代表待望論も高まり始める。

 その新星FWを指揮官のジーコも見逃さず、2004年3月の2006年ドイツW杯アジア1次予選・シンガポール戦で初めて抜擢する。直後の4月のハンガリー戦で代表初ゴールを挙げ、続くチェコ戦では久保竜彦との2トップで1-0のミラクル勝利に貢献。2004年アジアカップ(中国)では鈴木隆行(解説者)と最前線を形成し、アジアタイトル獲得の原動力となった。
 
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