選手だけでなく、チーム、そして国全体が追放されたケースも。

87年のコパ・アメリカ(写真)で決勝戦に進出するなど躍進を遂げたチリ。ゆえに90年ワールドカップ予選ではプレッシャーに苛まれた。そして追い詰められたロハス(上段右端)は剃刀を隠し持ってピッチへ向かった……。 (C) SOCCER DIGEST
そして極めつけは、今回、一躍時の人となってハラの母国チリにとって、歴史の汚点ともなっている「ロハス事件」だろう。
90年イタリア・ワールドカップの南米予選で、ブラジルと対戦したチリのGKロベルト・ロハスが、スタンドから投げ込まれた発煙筒が頭に当たったと偽装するため、自ら剃刀で傷を付けた事件である。
ホームでの1戦目を引き分けられ、2戦目でも先制を許して追い込まれていたチリ。87年のコパ・アメリカでブラジルを4-0で下していたこともあって、この期に及んでもチリの国民は勝利を信じており、これが選手に過剰なプレッシャーとして圧し掛かっていた。
勝ち目のない戦いに臨むロハスは、追い詰められたなかで、トラブルを偽装してこの対戦を無効に持ち込もうと考えたようだ(無効試合となれば、ホームチームのブラジルの敗北、もしくは第三国での再戦という判定が下っただろう)。
そして、発煙筒がスタンドから投げ込まれると同時に倒れ込んだロハス。チリの選手は、血まみれの守護神をロッカールームに運び出し、以降、ピッチに戻ってくることはなかった。
しかし、間もなくして偽装が発覚。この一大スキャンダルにより、ロハスは永久追放となり、その他複数の関係者にも厳罰が下り、チリ代表は94年アメリカ・ワールドカップの予選出場権も剥奪されることとなった。
この場合、選手だけでなく、国自体がメジャーイベントから追放されたわけである。ちなみにチームの追放劇というケースでは、1988年の北中米U-20選手権でメキシコが選手の年齢を詐称したことが明るいみとなり、この大会での失格は言うまでもなく、全てのカテゴリーについても厳罰が下った。
A代表はこの時期、すでに90年ワールドカップの予選を戦っていたが、こちらも即座に失格となり、メキシコは世界のサッカーシーンから消えることとなった。もっとも、この事件によりメキシコ・サッカー界では一大改革が始まり、現在の魅力的な代表チーム、国内リーグの基盤を築き上げたのである。
これに対し、“追放”をきっかけに没落の道を進んでいったのが、今は無き国ユーゴスラビアだ。92年欧州選手権では優勝候補の一角に挙げられながら、内戦に対する制裁がスポーツの世界にも波及し、開幕の2週間前に出場権剥奪という大事件に繋がった。
すでにクロアチア、スロベニアなどが独立を表明しており、実質的にはセルビア人とモンテネグロ人による代表チームではあったが、それでも大会屈指のタレント集団として期待と注目を集めていただけに、この政治介入による土壇場での“追放劇”は、サッカーファンに大きな喪失感を与えることとなった。
その後、ユーゴスラビアという名前は消え、セルビアとモンテネグロも別々の国となり、かつての「東欧のブラジル」は過去のものとなった。
先月、セルビアはU-20ワールドカップ決勝でブラジルを破り、初めてメジャータイトルを獲得したが、かつて87年にそうそうたるタレントを擁してワールドユース(当時)を制し、その後の隆盛に繋げたユーゴ黄金時代の再現を、この国は果たすことができるだろうか。
このように、サッカー界では様々な、そして多くの「追放劇」が存在している。それぞれに興味深いエピソードがあり、これもサッカーの歴史を形成してきた要素のひとつであるのは事実だが……やはり、ないに越したことはないだろう。
90年イタリア・ワールドカップの南米予選で、ブラジルと対戦したチリのGKロベルト・ロハスが、スタンドから投げ込まれた発煙筒が頭に当たったと偽装するため、自ら剃刀で傷を付けた事件である。
ホームでの1戦目を引き分けられ、2戦目でも先制を許して追い込まれていたチリ。87年のコパ・アメリカでブラジルを4-0で下していたこともあって、この期に及んでもチリの国民は勝利を信じており、これが選手に過剰なプレッシャーとして圧し掛かっていた。
勝ち目のない戦いに臨むロハスは、追い詰められたなかで、トラブルを偽装してこの対戦を無効に持ち込もうと考えたようだ(無効試合となれば、ホームチームのブラジルの敗北、もしくは第三国での再戦という判定が下っただろう)。
そして、発煙筒がスタンドから投げ込まれると同時に倒れ込んだロハス。チリの選手は、血まみれの守護神をロッカールームに運び出し、以降、ピッチに戻ってくることはなかった。
しかし、間もなくして偽装が発覚。この一大スキャンダルにより、ロハスは永久追放となり、その他複数の関係者にも厳罰が下り、チリ代表は94年アメリカ・ワールドカップの予選出場権も剥奪されることとなった。
この場合、選手だけでなく、国自体がメジャーイベントから追放されたわけである。ちなみにチームの追放劇というケースでは、1988年の北中米U-20選手権でメキシコが選手の年齢を詐称したことが明るいみとなり、この大会での失格は言うまでもなく、全てのカテゴリーについても厳罰が下った。
A代表はこの時期、すでに90年ワールドカップの予選を戦っていたが、こちらも即座に失格となり、メキシコは世界のサッカーシーンから消えることとなった。もっとも、この事件によりメキシコ・サッカー界では一大改革が始まり、現在の魅力的な代表チーム、国内リーグの基盤を築き上げたのである。
これに対し、“追放”をきっかけに没落の道を進んでいったのが、今は無き国ユーゴスラビアだ。92年欧州選手権では優勝候補の一角に挙げられながら、内戦に対する制裁がスポーツの世界にも波及し、開幕の2週間前に出場権剥奪という大事件に繋がった。
すでにクロアチア、スロベニアなどが独立を表明しており、実質的にはセルビア人とモンテネグロ人による代表チームではあったが、それでも大会屈指のタレント集団として期待と注目を集めていただけに、この政治介入による土壇場での“追放劇”は、サッカーファンに大きな喪失感を与えることとなった。
その後、ユーゴスラビアという名前は消え、セルビアとモンテネグロも別々の国となり、かつての「東欧のブラジル」は過去のものとなった。
先月、セルビアはU-20ワールドカップ決勝でブラジルを破り、初めてメジャータイトルを獲得したが、かつて87年にそうそうたるタレントを擁してワールドユース(当時)を制し、その後の隆盛に繋げたユーゴ黄金時代の再現を、この国は果たすことができるだろうか。
このように、サッカー界では様々な、そして多くの「追放劇」が存在している。それぞれに興味深いエピソードがあり、これもサッカーの歴史を形成してきた要素のひとつであるのは事実だが……やはり、ないに越したことはないだろう。

本大会に出場していたらどうなったのか――。いまだにサッカーファンの間では話題に挙がる92年当時のユーゴスラビア代表。写真は大会直前のオランダ戦のもので、イビチャ・オシム監督が最後に采配を振るった試合となった。 (C) SOCCER DIGEST