「8番をハヤオにつけてほしい」
なんのために、広島に戻ってきたのか。
移籍したほうが自分にとってベターではないのか。
悩んだ。苦しんだ。それでも練習では全力を尽くしたが、自分の力を活かせるポジションでプレーできない辛さは、これまで味わったことのない挫折感を伴った。
この時、彼を救ったのは、偉大なる広島のレジェンドだった。
このシーズン、キャンプから慢性疲労症候群の症状が再発し、練習すらまともにできなかった森﨑和幸は、夏を過ぎたあたりからようやく、練習場に顔を出せるようになっていた。川辺は、病から戻ってきた広島史上最高のボランチ=森﨑和に、自分の想いを聞いてほしいと思った。練習場で、風呂場で、場所を選ばず、若者はレジェンドに言葉をぶつけた。
森﨑和が何か特別なことを語ったわけではない。ただ、彼はずっと川辺の話を聞いていた。それだけで、若者の心は落ち着いた。そしていつしか、考えるようになった。
「カズさんのようになりたい」
森﨑和幸の現役ラストマッチとなったアウェーの札幌戦(2018年12月2日)、シャドーの位置で先発した川辺は、全選手中最多となる26回のスプリントを見せ、レジェンドのために汗をかいた。試合後、「カズさんと一緒にプレーできて、楽しかった」と笑顔。何かを吹っ切ったかのような表情に、一時期の迷いはまったくなかった。
移籍したほうが自分にとってベターではないのか。
悩んだ。苦しんだ。それでも練習では全力を尽くしたが、自分の力を活かせるポジションでプレーできない辛さは、これまで味わったことのない挫折感を伴った。
この時、彼を救ったのは、偉大なる広島のレジェンドだった。
このシーズン、キャンプから慢性疲労症候群の症状が再発し、練習すらまともにできなかった森﨑和幸は、夏を過ぎたあたりからようやく、練習場に顔を出せるようになっていた。川辺は、病から戻ってきた広島史上最高のボランチ=森﨑和に、自分の想いを聞いてほしいと思った。練習場で、風呂場で、場所を選ばず、若者はレジェンドに言葉をぶつけた。
森﨑和が何か特別なことを語ったわけではない。ただ、彼はずっと川辺の話を聞いていた。それだけで、若者の心は落ち着いた。そしていつしか、考えるようになった。
「カズさんのようになりたい」
森﨑和幸の現役ラストマッチとなったアウェーの札幌戦(2018年12月2日)、シャドーの位置で先発した川辺は、全選手中最多となる26回のスプリントを見せ、レジェンドのために汗をかいた。試合後、「カズさんと一緒にプレーできて、楽しかった」と笑顔。何かを吹っ切ったかのような表情に、一時期の迷いはまったくなかった。
「8番をハヤオにつけてほしい」
2020年シーズン前、森﨑和幸に言われたことで、川辺は広島伝統の8番を背負う決心を固めた。
2018年の苦難を経て、森﨑和や青山、稲垣らのプレーを見て、川辺はボランチとして何が必要か分析していた。具体的に言えばプレー強度。特に守備の意識とインテンシティを身に付けないといけない。2019年、守備面で大きな進歩を遂げた若者は、広島のボランチに定着した。その実績があるからこそ、クラブも森﨑和も「8番をハヤオに」と考えたわけだ。
当初、川辺は背番号について、それほど重要に受け止めていなかった。だが、いざ8番を身に付けてみると、両肩にズシリと重みを感じた。風間八宏が、そして森﨑和幸が背負ってきたチームへの責任。キャプテンマーク以上に強い力で、サンフレッチェ広島というチームそのものの存在を、8番は川辺に意識させた。
それまでは、まず自分自身のプレーだけを彼は考えていた。だが、8番を背負うことは、広島を背負うこと。そんな期待と歴史に気づいた川辺は、次第にチームリーダーとしての色彩を強めていく。攻撃でも守備でも、彼はチームのために奮戦した。
それだけではない。かつて森﨑和が担っていた「周りを気持ちよくプレーさせる」仕事も、彼は請け負った。「攻撃はもちろん、ハヤオは守備でも本当に利いていた」という城福監督の称賛は、3年前には聞かれなかった。それも「チームのために何ができるか」を彼がずっと考えてプレーしていたからこその言葉だろう。そしてこの成長なくして、日本代表も欧州移籍もありえなかったはずだ。
2020年シーズン前、森﨑和幸に言われたことで、川辺は広島伝統の8番を背負う決心を固めた。
2018年の苦難を経て、森﨑和や青山、稲垣らのプレーを見て、川辺はボランチとして何が必要か分析していた。具体的に言えばプレー強度。特に守備の意識とインテンシティを身に付けないといけない。2019年、守備面で大きな進歩を遂げた若者は、広島のボランチに定着した。その実績があるからこそ、クラブも森﨑和も「8番をハヤオに」と考えたわけだ。
当初、川辺は背番号について、それほど重要に受け止めていなかった。だが、いざ8番を身に付けてみると、両肩にズシリと重みを感じた。風間八宏が、そして森﨑和幸が背負ってきたチームへの責任。キャプテンマーク以上に強い力で、サンフレッチェ広島というチームそのものの存在を、8番は川辺に意識させた。
それまでは、まず自分自身のプレーだけを彼は考えていた。だが、8番を背負うことは、広島を背負うこと。そんな期待と歴史に気づいた川辺は、次第にチームリーダーとしての色彩を強めていく。攻撃でも守備でも、彼はチームのために奮戦した。
それだけではない。かつて森﨑和が担っていた「周りを気持ちよくプレーさせる」仕事も、彼は請け負った。「攻撃はもちろん、ハヤオは守備でも本当に利いていた」という城福監督の称賛は、3年前には聞かれなかった。それも「チームのために何ができるか」を彼がずっと考えてプレーしていたからこその言葉だろう。そしてこの成長なくして、日本代表も欧州移籍もありえなかったはずだ。