右サイドは本来、最も選手層の厚いポジションのはずだった。
今シーズンのミランの最大の問題は、この唯一の武器であった右サイドを機能させ続けるための、代わりの選手がいなかったことにある。
とはいえ本来、このポジションは最も選手層が厚かったはずである。例えば、今冬にジェノアへ移籍(レンタル)したエムバイ・ニアング。彼はミランでは5試合、計89分間プレーして1ゴールも決めることはなかったが、ジェノアでは息を吹き返し、14試合で約1000分近い時間をプレー、ゴールも5本決めている。
昨夏、ミランはニアングへの数多くのオファーを断り、彼に懸ける姿勢を見せていたが、インザーギ監督は結局、彼を一度も主力とみなすことはなかった。
そして、最も顕著な例はやはりチェルチだろう。インザーギ監督は彼を高く評価し、何か月にもわたって口説き続けてきた。昨夏、チェルチがトリノからもっとビッグクラブに移りたいという希望を持っていると知った時から、インザーギ監督は彼の獲得を狙っていたのだ。
しかし、トリノのウルバーノ・カイロ会長がミランにとっては高すぎる移籍金を提示したことで、チェルチはアトレティコ・マドリーの選手となった。このマドリードでの日々は、チェルチにとって忘れてしまいたいようなものだった。そして1月に冬のメルカートが開くと、ついにミランへの移籍が実現したのだ。
もう一度活躍したい切望する選手と、彼を厚く信頼している監督。全てはうまくいくはずだった。しかし、チェルチはミランでも活躍できず、ゴールもできず、再びベンチを暖める日々が始まった。
インザーギとの蜜月関係はあっけなく終わり、試合後のロッカールームでは面と向かって罵り合う場面も見られた。おまけに怪我までしてしまい、希望に溢れたものとなるはずのシーズンは、チェルチにとっては最悪のままで終わろうとしている。
そして最後に、21歳のスペイン人プレーヤー、スソ。ほんの少し前までは、海のものとも山のものともつかない“未確認物体”だったが、3月にレッジャーナとの親善試合で活躍をしたことで、インザーギ監督は初めて彼の存在に気づいた。
スソは才能ある選手だったが、それまでその力を見せるチャンスに恵まれていなかった。それもこれも、インザーギ監督がボナベントゥーラを本来の中盤としてではなく、右サイドアタッカーとしてプレーさせてきたからだ。
とにかく、多くの混乱とミスが重なって、今のミランはでき上がった。その混乱ぶりは、ここに紹介した通り、右サイドひとつを取り上げただけでもよく分かるだろう。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト)
協力・翻訳:利根川晶子
Marco PASOTTO/Gazzetta dello Sport
マルコ・パソット
1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
とはいえ本来、このポジションは最も選手層が厚かったはずである。例えば、今冬にジェノアへ移籍(レンタル)したエムバイ・ニアング。彼はミランでは5試合、計89分間プレーして1ゴールも決めることはなかったが、ジェノアでは息を吹き返し、14試合で約1000分近い時間をプレー、ゴールも5本決めている。
昨夏、ミランはニアングへの数多くのオファーを断り、彼に懸ける姿勢を見せていたが、インザーギ監督は結局、彼を一度も主力とみなすことはなかった。
そして、最も顕著な例はやはりチェルチだろう。インザーギ監督は彼を高く評価し、何か月にもわたって口説き続けてきた。昨夏、チェルチがトリノからもっとビッグクラブに移りたいという希望を持っていると知った時から、インザーギ監督は彼の獲得を狙っていたのだ。
しかし、トリノのウルバーノ・カイロ会長がミランにとっては高すぎる移籍金を提示したことで、チェルチはアトレティコ・マドリーの選手となった。このマドリードでの日々は、チェルチにとって忘れてしまいたいようなものだった。そして1月に冬のメルカートが開くと、ついにミランへの移籍が実現したのだ。
もう一度活躍したい切望する選手と、彼を厚く信頼している監督。全てはうまくいくはずだった。しかし、チェルチはミランでも活躍できず、ゴールもできず、再びベンチを暖める日々が始まった。
インザーギとの蜜月関係はあっけなく終わり、試合後のロッカールームでは面と向かって罵り合う場面も見られた。おまけに怪我までしてしまい、希望に溢れたものとなるはずのシーズンは、チェルチにとっては最悪のままで終わろうとしている。
そして最後に、21歳のスペイン人プレーヤー、スソ。ほんの少し前までは、海のものとも山のものともつかない“未確認物体”だったが、3月にレッジャーナとの親善試合で活躍をしたことで、インザーギ監督は初めて彼の存在に気づいた。
スソは才能ある選手だったが、それまでその力を見せるチャンスに恵まれていなかった。それもこれも、インザーギ監督がボナベントゥーラを本来の中盤としてではなく、右サイドアタッカーとしてプレーさせてきたからだ。
とにかく、多くの混乱とミスが重なって、今のミランはでき上がった。その混乱ぶりは、ここに紹介した通り、右サイドひとつを取り上げただけでもよく分かるだろう。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト)
協力・翻訳:利根川晶子
Marco PASOTTO/Gazzetta dello Sport
マルコ・パソット
1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。