「試合後ならなんだって言える」という捨て台詞を吐く指揮官。
浦和が勝てないのは、サッカーに向き合うマインドが未熟だからだ。これが変わらない限りは、どんなに高等な戦術、テクニックを身につけたところで勝てないだろう。
ただ昨夜の試合を観て感じた、プレーの問題も指摘したい。
浦和は非常に戦術的で、選手たちは決まり事をなぞることに気を取られている。すぐに手詰まりになるのは、敵に研究されやすいからだ。
浦和はボールを持つと最前線に5人が広がり、彼らが縦パスを引き出して、敵の最終ラインに綻びを作ろうとする。必然的に前の5人は縦パスを受けるプレーが多くなるが、昨夜は屈強な水原守備陣に背後から圧力をかけられ、ほとんど前を向かせてもらえなかった。
縦パスを入れる。背中を押されて、すぐ後ろに戻す。仕方なく横につなぎながら、また縦を窺う……。
ボールはいたずらに右から左へ、左から右へと三日月の形に動き、時間だけが過ぎ去っていった。
このようにボールの前に多くの選手が展開する戦術では、ボールを引き出した選手が反転して仕掛けなければ、敵は崩れない。だが、浦和はそれができない。やろうともしない。
キックフェイントを使って反転する素振りを見せれば、敵は警戒して間合いを空けるようになるだろう。そうなればターンするチャンスも広がるが、その駆け引きも見られなかった。リスクを負った、厳しい攻防から逃げているのだ。
J1では首位に立っているが、大きな目標のひとつであったACLがあろうことかグループステージで潰えてしまった。これは監督更迭もやむを得ない失態ではないか。
すでにペトロヴィッチ監督の限界は見えている。
古巣、広島から次々と教え子を獲得し、戦術の確立という点では一定の成果を上げているが、最大の課題である勝負弱さはまったく払拭できていない。勝点を落とすたびに、監督が見苦しい言い訳を繰り返すのだ。これでは勝負への厳しさが生まれるはずもない。
試合後の記者会見では、面白いやりとりがあった。
私の後ろに座っていた記者が、週末のJリーグの試合から大幅にメンバーを代えたことについて尋ねた。するとペトロヴィッチ監督は「試合後は、誰でも理由を見つけやすいものだ。試合前には、どうなるか分からない」と言い出したのだ。
これは「試合後ならなんだって言える」という捨て台詞に近く、質問者の「なぜ?」にまったく答えていない。負けた時の会見は、いつもこうだ。「なぜなら……」と答えようとせず、言い訳に終始する。潔さや誠実さがない。
広島を率いていた頃は、決してこうではなかった。喋りすぎるところは同じだが、ここまで言い訳ばかりではなかった。これはつまるところ、浦和を率いる器がないということだろう。
取材・文:熊崎 敬
ただ昨夜の試合を観て感じた、プレーの問題も指摘したい。
浦和は非常に戦術的で、選手たちは決まり事をなぞることに気を取られている。すぐに手詰まりになるのは、敵に研究されやすいからだ。
浦和はボールを持つと最前線に5人が広がり、彼らが縦パスを引き出して、敵の最終ラインに綻びを作ろうとする。必然的に前の5人は縦パスを受けるプレーが多くなるが、昨夜は屈強な水原守備陣に背後から圧力をかけられ、ほとんど前を向かせてもらえなかった。
縦パスを入れる。背中を押されて、すぐ後ろに戻す。仕方なく横につなぎながら、また縦を窺う……。
ボールはいたずらに右から左へ、左から右へと三日月の形に動き、時間だけが過ぎ去っていった。
このようにボールの前に多くの選手が展開する戦術では、ボールを引き出した選手が反転して仕掛けなければ、敵は崩れない。だが、浦和はそれができない。やろうともしない。
キックフェイントを使って反転する素振りを見せれば、敵は警戒して間合いを空けるようになるだろう。そうなればターンするチャンスも広がるが、その駆け引きも見られなかった。リスクを負った、厳しい攻防から逃げているのだ。
J1では首位に立っているが、大きな目標のひとつであったACLがあろうことかグループステージで潰えてしまった。これは監督更迭もやむを得ない失態ではないか。
すでにペトロヴィッチ監督の限界は見えている。
古巣、広島から次々と教え子を獲得し、戦術の確立という点では一定の成果を上げているが、最大の課題である勝負弱さはまったく払拭できていない。勝点を落とすたびに、監督が見苦しい言い訳を繰り返すのだ。これでは勝負への厳しさが生まれるはずもない。
試合後の記者会見では、面白いやりとりがあった。
私の後ろに座っていた記者が、週末のJリーグの試合から大幅にメンバーを代えたことについて尋ねた。するとペトロヴィッチ監督は「試合後は、誰でも理由を見つけやすいものだ。試合前には、どうなるか分からない」と言い出したのだ。
これは「試合後ならなんだって言える」という捨て台詞に近く、質問者の「なぜ?」にまったく答えていない。負けた時の会見は、いつもこうだ。「なぜなら……」と答えようとせず、言い訳に終始する。潔さや誠実さがない。
広島を率いていた頃は、決してこうではなかった。喋りすぎるところは同じだが、ここまで言い訳ばかりではなかった。これはつまるところ、浦和を率いる器がないということだろう。
取材・文:熊崎 敬