「我がクラブのGKとして楽しみなのが、ティモの成長ぶりです」
遠藤:ドイツ人に限らず、その成長や活躍ぶりに驚いているGKはいますか?
田口:ブンデスリーガで増加傾向にあるスイス人GKですね。183センチのゾマーも187センチのビュルキも、サイズに恵まれているわけではありません。それを補っている特徴が身体能力と積極性、そして足下の技術をベースとした“フィールドプレーヤー的要素”でしょう。
それから自分の教え子ということもありますが、我がクラブ(ケルン)のGKとして楽しみなのが、ティモの成長ぶりです。
遠藤:フィールドプレーヤー的要素は、現代のGKには不可欠かと思います。そうした部分を伸ばすために、田口さん自身が指導にあたる際、工夫なさっていることは?
田口:ウォーミングアップに足下の技術を伸ばすメニューを盛り込んだり、反復練習をさせています。ただ、戦術的要素を身に付けさせるには個別のGK練習ではなく、やはりチーム練習との兼ね合いが重要になります。この点は事前に監督やコーチと話し合い、トレーニングに上手く取り込むようにしていますよ。
遠藤:その指導法はもちろん、個人的にはGKコーチならではの観戦術が気になります。試合ではどういった部分に着目していますか?
田口:実際にスタジアムに足を運んだ際は、GKのポジショニングを注意深く観るようにしています。TV観戦ではGKの事前のポジショニングを確認することが容易ではありませんので。もちろん、スタンドではなく自分がベンチに入る試合でも、GKのポジショニングには常に気を配っていますよ。
構成・文:遠藤孝輔
協力:田口哲雄(ケルンU-21GKコーチ)
【識者プロフィール】
田口哲雄
1976年、埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。2006年から1.FCケルンのユース部門でGKコーチとして手腕を振るう育成のエキスパート。ドイツU-21代表に名を連ねるケルンの正守護神ホーンを育て上げ、現在はドイツU-20代表のメーゼンヘラーなどを指導している。
遠藤孝輔
1984年、東京都中野区生まれ。2005年からワールドサッカーダイジェストEXTRA、07年からワールドサッカーダイジェスト編集部に所属し、ドイツ代表およびブンデスリーガを担当。ニコニコ生放送の「ブンデスリーガチャンネル」でゲスト解説を務めた時期も。ドイツ以外の欧州サッカーにも精通し、日本代表のアギーレ前監督が退任した際、真っ先にハリルホジッチを後任候補のひとりに挙げた。14年に日本スポーツ企画出版社を退社。現在はフリー。
田口:ブンデスリーガで増加傾向にあるスイス人GKですね。183センチのゾマーも187センチのビュルキも、サイズに恵まれているわけではありません。それを補っている特徴が身体能力と積極性、そして足下の技術をベースとした“フィールドプレーヤー的要素”でしょう。
それから自分の教え子ということもありますが、我がクラブ(ケルン)のGKとして楽しみなのが、ティモの成長ぶりです。
遠藤:フィールドプレーヤー的要素は、現代のGKには不可欠かと思います。そうした部分を伸ばすために、田口さん自身が指導にあたる際、工夫なさっていることは?
田口:ウォーミングアップに足下の技術を伸ばすメニューを盛り込んだり、反復練習をさせています。ただ、戦術的要素を身に付けさせるには個別のGK練習ではなく、やはりチーム練習との兼ね合いが重要になります。この点は事前に監督やコーチと話し合い、トレーニングに上手く取り込むようにしていますよ。
遠藤:その指導法はもちろん、個人的にはGKコーチならではの観戦術が気になります。試合ではどういった部分に着目していますか?
田口:実際にスタジアムに足を運んだ際は、GKのポジショニングを注意深く観るようにしています。TV観戦ではGKの事前のポジショニングを確認することが容易ではありませんので。もちろん、スタンドではなく自分がベンチに入る試合でも、GKのポジショニングには常に気を配っていますよ。
構成・文:遠藤孝輔
協力:田口哲雄(ケルンU-21GKコーチ)
【識者プロフィール】
田口哲雄
1976年、埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。2006年から1.FCケルンのユース部門でGKコーチとして手腕を振るう育成のエキスパート。ドイツU-21代表に名を連ねるケルンの正守護神ホーンを育て上げ、現在はドイツU-20代表のメーゼンヘラーなどを指導している。
遠藤孝輔
1984年、東京都中野区生まれ。2005年からワールドサッカーダイジェストEXTRA、07年からワールドサッカーダイジェスト編集部に所属し、ドイツ代表およびブンデスリーガを担当。ニコニコ生放送の「ブンデスリーガチャンネル」でゲスト解説を務めた時期も。ドイツ以外の欧州サッカーにも精通し、日本代表のアギーレ前監督が退任した際、真っ先にハリルホジッチを後任候補のひとりに挙げた。14年に日本スポーツ企画出版社を退社。現在はフリー。