「一度はプレーしたい」と語ったリーグは?
――移籍を決めるに当たって、誰かに相談は?
「相談というより、少し話が進んでから、家族にこういう話があると伝えました」
――ご家族の反応は?
「父が次の日に『ちょっとパスポートを取ってくるわ』と言って、早速申請をしに行ってましたね(笑)」
――(長崎総科大附高時代の恩師である)小嶺(忠敏)監督から言葉などは?
「ベルマーレから正式発表される前日に電話をさせてもらって、『スイスのローザンヌというチームに行きます』と伝えました。何を話したかあまり覚えていないですが、『自分らしくやってこい』と声を掛けてくれました」
――1年間指導を受けた小嶺監督は、どのような存在?
「人生の厳しさとか人間性の大切さを学びました。サッカーの事より人間性の事をずっと言われていわれましたね。小嶺先生は高校を卒業してすぐプロになるというより、セカンドキャリアの事を考えて大学に行ったほうが良いと考えていて、僕が高卒でプロになりたいと伝えた時も、初めは進学を勧められました。ただ、僕もプロになるという事しか考えてなかったので、最後は先生が折れて納得してくれました。長崎での1年間は、きつい事の方が多かったですが、小学校、中学校、高校と歩んできた学生時代の中で、一番思い出に残っています」
「相談というより、少し話が進んでから、家族にこういう話があると伝えました」
――ご家族の反応は?
「父が次の日に『ちょっとパスポートを取ってくるわ』と言って、早速申請をしに行ってましたね(笑)」
――(長崎総科大附高時代の恩師である)小嶺(忠敏)監督から言葉などは?
「ベルマーレから正式発表される前日に電話をさせてもらって、『スイスのローザンヌというチームに行きます』と伝えました。何を話したかあまり覚えていないですが、『自分らしくやってこい』と声を掛けてくれました」
――1年間指導を受けた小嶺監督は、どのような存在?
「人生の厳しさとか人間性の大切さを学びました。サッカーの事より人間性の事をずっと言われていわれましたね。小嶺先生は高校を卒業してすぐプロになるというより、セカンドキャリアの事を考えて大学に行ったほうが良いと考えていて、僕が高卒でプロになりたいと伝えた時も、初めは進学を勧められました。ただ、僕もプロになるという事しか考えてなかったので、最後は先生が折れて納得してくれました。長崎での1年間は、きつい事の方が多かったですが、小学校、中学校、高校と歩んできた学生時代の中で、一番思い出に残っています」
――同時期に海外移籍が決まった同僚の齊藤未月選手(ロシアのルビン・カザンへ)と話は?
「シーズンが終わる少し前だったので、お互いに『決まったなー』と。具体的な話は特にしなかったですけど、『怪我なく頑張ろう』みたいな話をしました」
――(昨年12月20日に行なわれた)移籍会見で昔から海外志向があったとおっしゃっていました。何歳ぐらいから?
「小学1年生からチームに入って本格的にサッカーを始めたんですが、その時からメッシ選手が好きで、対決したいという目標を持ってやってきました。それが海外でプレーしたいと思った最初のキッカケですね」
――では、将来的にはラ・リーガでプレーしたい?
「メッシ選手がいる間に行きたいですし、対戦もしてみたい。それが難しくても、ラ・リーガでプレーしてみたいですね」
――他のリーグよりもやはりラ・リーガですか?
「そうですね。理由はメッシだけではなくて、高校生の時にスペインに遠征に行って感じた事とかも含めて、一度はラ・リーガでやってみたいですね」
「シーズンが終わる少し前だったので、お互いに『決まったなー』と。具体的な話は特にしなかったですけど、『怪我なく頑張ろう』みたいな話をしました」
――(昨年12月20日に行なわれた)移籍会見で昔から海外志向があったとおっしゃっていました。何歳ぐらいから?
「小学1年生からチームに入って本格的にサッカーを始めたんですが、その時からメッシ選手が好きで、対決したいという目標を持ってやってきました。それが海外でプレーしたいと思った最初のキッカケですね」
――では、将来的にはラ・リーガでプレーしたい?
「メッシ選手がいる間に行きたいですし、対戦もしてみたい。それが難しくても、ラ・リーガでプレーしてみたいですね」
――他のリーグよりもやはりラ・リーガですか?
「そうですね。理由はメッシだけではなくて、高校生の時にスペインに遠征に行って感じた事とかも含めて、一度はラ・リーガでやってみたいですね」